【天候】 快晴  
【宿場】(24)阿弥陀海道宿⇒(25)黒野田宿⇒(26)駒飼宿⇒(27)鶴瀬宿
【行程】歩行距離=11.40㎞ 総距離=117.38㎞  
笹子駅前交差点⇒(2.24㎞)⇒旧道入口⇒(4.05㎞)⇒笹子峠⇒(2.21㎞)⇒大持沢橋⇒(1.83㎞)⇒天狗橋⇒(1.07㎞)⇒R20大和橋西詰交差点

【ルート図】
 ↓
宿場(黒囲みが第9回旅の宿場)
第9回宿場
 ↓旧甲州道中の旅・進捗状況
  (黒線=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
第9回全体ルート
 ↓第9回の旅ルート
  (笹子駅前交差点
⇒ R20大和橋西詰交差点)
第9回ルート
【旧甲州道中の旅】
《序章》
今日は甲州道中で一番厳しいと云われている笹子峠(標高=1,096m)を越えます。
そのため、同行者のMさんと打合せを行い、12日の天気予報で朝6時から15時の間に☂マークがあった場合は中止し、次回の旅予定としている11月13日(金)まで延期することにしました。
さて、前回の旅からラジオ体操で知り合ったMさんと一緒に旅をすることになり、今回もそれぞれが旅の準備を行って旅に臨むことになり、私は今までと変わることなく先人のHPなどの情報を参考に、史跡の場所を地図に書き込んだり、道中の道案内を用意しました。
また、街道旅は長距離用のウォーキングシューズ(TVなどで通販されているウォーキングシューズは短距離用)で良いのですが、山道で足首を保護するためにトレッキングシューズを履くことにしました。
※街道旅でトレッキングシューズを履くのは、旧東海道の箱根東坂越え以来です。
《準備》
地図や史跡場所などの地図書き込みは数日前に終了し、ザックも8日前のハイクで使用したものをそまま利用したので、行動食(菓子パン)を用意するだけで済みました。
また、水分はスポーツドリンク(600cc)、水(600cc)、麦茶(350cc)を用意して朝を迎えました。

目覚ましの音楽で目を覚まし、洗面、血圧・体重測定、旅の身支度を整えましたが、数日前から左足の膝の具合が悪く途中で悪化しなければと願いながらの準備になりました。
《移動》

Mさんとの待ち合わせは6時15分ですが、コンビニで昼食のおにぎりを買ったり、駅でトイレを済ませたりしようと考え少し早く家を出発しました。
長袖Tシャツ・半袖Tシャツ・アウタージャケットを着て家を出発しましたが、自転車を走らせると思ってた以上に肌寒く感じ、チョッキをもう1枚着ても良かったかなと思いました。
※Mさんに聞いたら、公園の温度は12℃だったそうです。
しかし、家に戻ることもできずそのまま自転車を走らせ近くのコンビニに立ち寄り、昼食のおにぎりを買って最寄り駅に向かいました。
最寄り駅でトイレを済ませ駅構内でMさんと合流し、出発地に移動しました。
07時56分、笹子駅着
006 笹子駅
《無人駅の改札機が故障》
笹子駅で下車し、改札口に来ると自動改札機が故障しているため、パスモに出札記録をつけることができません。
乗降客が少ない笹子駅は無人駅のため、備え付けの連絡電話で確認すると、そのまま下車して下さいと云われ、改札付近に溜まっていた人達に伝達され改札を通りました。
帰りの甲斐大和駅も無人駅だったため、最終下車駅の立川駅でパスモの記録登録と精算をしてもらったのですが、私達の後ろに並んだ人も同じように笹子駅からの精算をしていました。
【=旅=】
08時02分、笹子駅前交差点(出発地)
007 笹子駅前交差点(出発地)
笹子駅を出て数十m先の笹子駅前交差点に行き、Mさんにお願いし出発の看板を掲げて写真を撮る出発式を行い旅をスタートしました。
交差点を渡り約50m歩くと右側に中央線の下を潜るトンネルがあり、トンネルを潜って通過します。
009 笹子駅JR隊道
トンネルを潜って約100m歩くとR20に合流し、右に進みます。
010 隊道出口・20号合流
真っ直ぐのR20を約160m(JR笹子変電所前付近)歩くと正面左側に、これから歩く笹子峠と思われる山が見え(白丸印)、「あのあたりを越えて行くのか」と気を引き締めました。
011 笹子峠方面の眺め
そして約190m先の日向橋を渡り、橋から約80m歩くと右側に奈良屋があり、斜め手前に宿名と同じ「黒野田バス停」がありました。
08時15分、黒野田バス停(右側)
012 黒野田バス停
ここで汗が出てきそうな気温になってきたので、衣服調整(アウタージャケットを脱ぐ)と帽子をバンダナに交換し、約50m歩くと左側の火の見やぐらの処に石積のお地蔵様が祀られていました。
08時19分、笠懸地蔵(左側)
013 笠懸地蔵
※笠懸地蔵・解説
014 笠懸地蔵・解説
笠懸地蔵から約40m歩くと左側に立派な門のある赤い屋根の大きな家があり、門の前に明治天皇の碑が建っていました。
08時21分、黒野田宿本陣跡(天野家)=左側
016 天野本陣跡・全景
家の前に家主の天野啓吾さんがおられ、
・旧時代の住まいにこれから工事が行われる
・二階は住まいになっていない
などの話しを聞かせて下さいました。
本陣を出発して約90m歩くと新道と旧道の分岐があったのですが、持っている地図に分岐を明確にしていなかったため、分岐を左折しないで新道を約30m進んだところでMさんから指摘され、地図を確認して分岐に戻りました。
08時29分、黒野田橋手前分岐(左)
017 分岐(黒野田橋手前)
分岐を左に進むと直ぐに旧黒野田橋があり、橋を渡ってまたR20に合流しました。
※旧黒野田橋
018 旧黒野田橋
合流して約40m歩くと右側に普明院があり、門前の両側に一里塚碑(日本橋から25番目の一里塚)が建っていました。
08時31分、黒野田一里塚碑(右側)
019 黒野田一里塚跡・全景
※黒野田一里塚(石碑)
020 門前・右の石碑
※黒野田一里塚(標柱)
021 門前・左の標柱
一里塚碑から約20m歩くと、左側に107㎞距離標が建っていました。
08時33分、107㎞距離標(左側)
022 107㎞距離標
距離標から約500m歩くと笹子川に架かる屋影橋があり、橋を渡ったところに馬頭観音の石像群がありました。
08時40分、屋影橋
023 屋影橋
08時42分、馬頭観音石像群(右側)
024 馬頭観音石碑群
石像群から約100m歩くと右側に笹子温泉の建物がありましたが、玄関のカーテンが閉まり人の気配がなかったので、帰ってきて調べたら平成17年に廃業されたとのことです。
08時44分、笹子鉱泉(右側)=廃業
025 笹子鉱泉
笹子鉱泉の真ん前のドライブイン・しらかばは、昔懐かしいカマドから煙を思い出させる調理場から煙を立てて開店準備をしていました。
※ドライブイン・しらかば(左側)
026 笹子鉱泉真向いのドライブイン
ドライブインから約300m歩くと、公民館前バス停の先に108㎞距離標が建っていました。
08時50分、108㎞距離標(左側)
027 108㎞距離標
距離標から約70m歩くと定食屋はらだがありましたが、右側に立っている看板は残っていますが、左側にある店舗は看板もなく閉まっていたので廃業になったようですが、その先隣りの「やまびこ」は営業していました。
やまびこから約260m歩くと中橋分岐があり、分岐の真ん中に新中橋バス停があり、分岐を左に進みます。
08時57分、中橋分岐(左)
028 新中橋分岐(左)
分岐を左の県道212号に入り約80m歩くと左側にゴミ集積所があり、旧街道はそれに沿って左折します。
※ここを左折しないで真っ直ぐ進んで道なりに左折して歩いている人もおりますが、正式にはこの場所を左折します。
08時59分、県道212号分岐(左折)
029 分岐(左折)
※石垣の間を歩く旧道
030 旧道
県道212号から斜め左に分岐した旧道は、約110mでまた県道212号に合流し、左に進みます。
09時02分、県道212号合流(左)
031 県道合流(左折)
分岐合流してやまぐち橋を渡り、右側の新田下バス停を過ぎた石垣と石垣の間の道を右折します。
032 県道分岐(右折)
右折する曲り角に、甲州街道の道標が建っていました。
09時06分、県道212号分岐(右折)
033 分岐した道
県道212号を右折すると、登りがハッキリと分かる道となりました。
舗装された50m程登ると水路にポリバケツが置いてあり、流れる水量を調節するダムの役目を果していました。
09時07分、ポリバケツダム(左側)
034 ポリバケツダム
舗装路は分岐から約120mで、その先から林道歩きになりました。
035 沢沿いの旧道
林道を150m登ると右側に砂防ダムが出来ており、それを左に廻り込むように進むと、林道整備に大型のブルドーザが入っていました。
09時11分、砂防ダム(右側)前
036 砂防ダム
※林道整備中(ブルドーザで拡幅)
037 工事中の旧道(右)
※整備中の林道(クローラのわだち)
038 工事中の旧道
道の右側を流れる川から遠征してきたのか、沢カニが整備中の道を歩いていました。
※沢カニ(白丸印)

039 沢かに
ブルドーザで拡幅された林道が終わると、本格的な林道歩きとなり、樹に付けられたテープを目印(黄色)に歩くようになりました。
09時19分、林道最初の目印(黄色)
040 旧道
林道には所々に黄色テープが付けられ、道も踏み固められた道があり、良く見て歩けば迷うことはありません。
なお、ピンクのテープも付けられているので、間違わないようにして下さい。
ピンクのテープに沿って歩かなかったので、どのような経路になるのかわかりません。
※黄色テープ
041 目印
※林道(県道合流手前)
042 県道に出る手前
09時25分、県道合流(右折)
043 県道に合流
県道212号に合流したら右折して県道を進みます。
県道を約150m歩くと美久保橋があり、橋を渡ります。
09時29分、美久保橋
044 新田沢・美久保橋
美久保橋を渡り、ヘアピンカーブの県道を歩くと左側に遊歩道案内地図と矢立の杉まで800mの案内看板が建っている処を左折して、登りの林道を進みます。
09時35分、美久保橋先県道分岐(左)
045 県道分岐(左折)
※美久保橋先県道分岐口
046 分岐した旧道
※林道(分岐口から約5分)
047 林道
09時43分、木橋
048 木橋
木橋を渡り三軒茶屋跡(本陣)に着く直前の右側に国土地理院の一等水準点があり、水準石が埋設されていました。
09時44分、一等水準点(899.84m)=右側
84m)
このような処に一等水準点があるとは思わなかったので、少し驚きました。
水準点から約60m(1分)歩くと、右側に石垣に囲まれた三軒茶屋跡(本陣)と明治天皇野立所跡があり、石碑が建っていました。
09時46分~09時51分、三軒茶屋跡・明治天皇野立所跡
051 茶屋碑・明治天皇野立跡碑
明治天皇野立所跡に建てられた顕彰標板には、以下のとおり記されていました。
顕彰の記
過ぐる明治十三年六月十九日大帝本縣御巡幸に際し
畏れ多くも此の地天野治兵衛家に御野立あらせられ
聖蹟を永久に残させ給へりと雖も時代の変遷と文化の
発達による中央線の開通は此の地を過ぐる者をして
絶無ならしめ為めに聖蹟も又口碑に傅ふるに過ぎざりき
聖蹟の主  天野治兵衛氏
之を慨嘆する事多年其の効空しからず 陸軍大将
菱刈閣下の御揮毫を得て記念碑を建立し以て之を
永久に傅へんとす 昭和十二年十一月七日
※明治天皇御野立所跡記念碑除幕式における
笹子村長天野五六様祝辞より抜粋
ここでザックを降ろし、水分補給および行動食(スポーツ羊羹)などを食べる休憩を取りました。
また、休憩していると3組(男2人、男1人、男女3人)の街道旅の人が来られ、
・今日は何処まで歩くの?
・今日の旅は何日目?
などの話しをし、一人で旅をしている人には「ゆっくり旅で宜しかったらご一緒にどうぞ」と声を掛け出発しました。
09時55分、木橋
052 木橋
木橋を渡り約150m登り坂を歩くと、矢立の杉が立っていました。
09時57分~10時01分、矢立の杉(左側)
054 矢立の杉碑
矢立の杉の周りは整備され、展望デッキや歌碑が建っています。
矢立の杉は、樹高約28m、根廻り14.8m、目通幹囲9m、幹は地上約22mで、折損した幹の中は上まで空洞となっている。梢頭の数枝は風害によって白骨化している上に、幹の空洞内は昭和4年の火災で木炭化している。
この木は甲斐国誌、甲斐叢記などの古い本に記され、江戸時代末期の浮世絵師・葛飾北斎や二代目歌川広重の名画にも残されているなど、古来有名な木であるとともに、スギの巨樹として山梨県でも有数だそうです。また、樹齢1000年を超す矢立ての杉は、戦国時代合戦に赴く武士が必勝を祈願して、この木に矢を射ったことからその名前がついたと云われている。甲州街道が開通してから人々の往来が盛んになり、旅人たちの憩いの場になっていました。
※展望デッキからの眺め

056 矢立の杉
※歌碑(矢立の杉)=右側 
057 矢立の杉記念碑
矢立の杉 作詞・作曲=大地 良、唄=杉 良太郎
右側の回転盤を廻すと、矢立の杉の解説が流れます。
また、展望デッキで、二人の記念にしようとシャッターを押して頂きました。
059 矢立の杉
見学を終え、先に進むのですが、道標どおりで良いのかと思わせる細い道を進むのですが、先人のHPにこの細い道を進むと記されていたので、躊躇なく歩を進めました。
10時01分、矢立の杉分岐(左)
060 矢立の杉・分岐
道は踏み固められていたので、道を迷うことはないのですが、本当に江戸時代の人が通ったの?と云いたくなるくらいの細い道と、①急坂を下って木橋を渡る、②やぶ漕ぎに近い状態、③急登、④急坂下りして県道に合流します。
①急坂を下って木橋を渡る
061 急坂⇒丸太橋
②やぶ漕ぎに近い状態
062 藪漕ぎ?
③急登
063 急登
④急坂下り
064 急坂
10時18分、県道に合流
065 県道・合流
最後の急坂下りでは、私達より年配のご夫婦の奥さんが苦労されていましたので、「ペタっと足裏を地面に付ければ登山靴は滑らないから大丈夫ですよ」と助言し、急がずにご夫婦で楽しんで歩いて下さいと挨拶して別れました。
県道を歩きながら木々の色付きを見ると、標高1,000m付近の笹子峠付近は紅葉が少し始まってきたところです。
※紅葉の始まり(県道合流から450m地点)
066 紅葉が始まる
色付き始めた紅葉を眺めながら県道の坂道を登り、ヘアピンカーブを過ぎると正面に笹子隊道(トル)が見えてきました。
10時30分、笹子隊道入口
067 笹子トンネル入口
旧街道はトンネルの手前に建っている笹子隊道碑の前を右に入って山越えします。
※笹子隊道碑
068 笹子隊道碑
また、隊道に入る手前の右側に夫婦連れのワンボックスカーが停まっていて、衣類を干していたので、
E=ここでキャンプですか?
男=山に登ってきて乾かしているんです
E=笹子雁ガ腹摺山ですか?
男=そうです。直ぐそこですよ。これから登るのですか?
E=私達は街道旅で、笹子峠を越えるだけです
と、会話して別れ、峠に向けて出発しました。
※笹子隊道脇の旧街道入口
069 笹子峠入口
峠道は直ぐに急登となり、息を整えながら登りました。
※急登
070 笹子峠の急登
峠まではしばらく歩くだろうと思っていたのですが、感覚的にはあっという間に着いた感じで、「え、もう峠に着いたの」と云いそうになりました。
10時37分、笹子峠

071 笹子峠
※峠の道標を右に行くと、笹子雁ガ腹摺山です。
峠で記念写真を撮ったりして記録に残し、峠の下りに入りました。
※笹子峠の下り坂
074 笹子峠からの急坂
峠を下るとT字路となり、右折(白矢印)すると天神宮があるというので、参拝に立ち寄りました。
10時40分、天神宮分岐

075 天神社への分岐(右)
分岐から約50m歩くと、右側に赤い鳥居が建っており、その奥に小さい祠が祀られていました。
10時41分、天神宮(右側)
076 天神社
天神宮を参拝し、T字路の分岐に戻り、分岐を黄矢印方向に進むと、坂を下って県道に合流し、県道を横切ってガードレールの間を下ります。
10時46分、県道合流(峠道から見る)
078 県道横切り①
※県道から見る
081 県道横切り②
私とMさんは県道を左に60m進み、笹子隊道の出口を見に行きました。
トンネルは反対側の出口が見え、隊道の出口に大月市市境標識(トンネル口左側)が建っており、トンネルに向かって右側に甲州市市境標識が建っていました。
10時47分、笹子隊道出口
079 笹子トンネル出口
さて、県道を横切ってガードレールの間から入る処に戻ると、ガードレールの脇に道標が建っており、道は急坂になっていました。
082 入口の急坂
最初の急坂を過ぎると少し緩やかな下りとなり、また県道が見えてきました。
083 県道合流手前
踏み固められた道を下ると、県道に合流する処に甘酒茶屋跡の標柱が建っていました。
10時53分、甘酒茶屋跡(右側)
084 県道合流点と甘酒茶屋跡碑
※甘酒茶屋跡標柱
085 甘酒茶屋跡碑
旧街道は県道に出ないで県道との境に設置されたガードレールに沿って進みますが、道が狭いので「ここでいいのかな」と歩みを停めて地図を確認しました。
086 ガードレール脇を進む

087 ガードレール脇の旧道
細い道を下って行くと、左側に緑色の「甲州街道峠道」と記された道標が建っているので、「この道で間違いない」と確信しました。
10時57分、緑色の道標(左側)
088 道標
緑色看板の道標の処で合流した林道を約140m歩くと、右側に白地看板に緑文字で「甲州街道峠道」と書かれた道標が建っており、道標に沿って右に下っていきます。
10時59分、分岐道標(右側)
089 分岐(道標を右)
※林道①
090 林道
※林道②
091 林道の旧道
11時03分、林道③(丸太橋)
092 丸太橋
※林道④
093 旧道
11時06分、林道⑤(沢渡り)
094 沢渡り
11時10分、林道⑥(笹子沢川に架かる丸太橋)
095 丸太渡り
白地(裏面)の標識を見ながら下ってきて標識を見ると、右=甲州街道峠道、左=自害沢天明水と記されているので、自害沢天明水に行ってみようかと思いMさんと相談すると、距離が分からないのと、自害沢という何とも薄気味悪いネーミングに行くことを割愛し、峠道を進むことにしました。
11時15分、分岐道標(右)
096 分岐
甲州街道峠道を進むと、谷側に防護柵が設置されてた明るくなった草地の道となりました。
097 柵が設置された旧道
途中、倒木した箇所が2ケ所ありましたが、支障なく歩くことができました。
098 倒木箇所
緩やかな下り坂を歩いていると、滝のように流れる水の音が聞こえてきたので、木立の間から眺めてみると、砂防ダムから流れ出る水の音でした。
11時20分、砂防ダム前のベンチ(左側)
099 奥に砂防ダム
旧道は防護柵に沿ってヘアピンカーブを曲がるのですが、曲がり角にベンチが2つ設置されていましたが、苔むしていて敷物を敷かないと座れない状態でした。
ヘアピンカーブを曲がると、一直線に緩やかな階段状になった坂道を下ると、笹子峠の峠道が終わり県道に合流し、左側に清水橋が架かっていました。
100 下ってきた階段道
笹子峠道終点の右側には峠碑が建てられており、車止めは休憩するのに良いベンチ代わりになりました。
ここでザックを降ろし、水分補給したり、峠越えで疲れた足を休めて英気を養いました。
11時21分~11時27分、県道合流笹子峠道終点

102 県道合流・分岐
※笹子峠碑
103 笹子峠碑
《笹子峠碑》
徳川幕府は慶長から元和年間にかけて甲州街道(江戸日本橋から信州諏訪まで約55里)を開通させました。笹子峠はほぼその中間で江戸から約27里(約100㎞)の笹子宿と馬飼宿を結ぶ標高1,056m、上下3里の難所でした。
峠には諏訪神社分社と天神社が祀られていて広場には常時、馬が20頭程繋がれていました。峠を下ると清水橋までに馬頭観世音、甘酒茶屋、雑事場、自害沢、天明水等がありました。また、ここの峠を往来した当時の旅人を偲んで昭和61年2月12日、次のような唄が作られ発表されました。
「 〔甲州峠唄〕 作詞=金田一春彦 作曲=西岡文明
 あれに白いは コブシの花か 峠三里は 春がすみ
 うしろ見返りゃ 今来た道は 林の中を 見え隠れ
 高くさえずる 妻恋雲雀 おれも歌おうか あの歌を
 ここは何処だと 馬子衆に問えば ここは甲州 笹子道 」
この唄の発表によって旧道を復元しようという気運が高まり昭和62年5月、清水橋から峠まで地域推進の一環として、日影区民一同と大和村文化協会の協力によって荒れていた旧道を整備して歩行の出来る状態にしました
と記されていました。
休憩を終え、合流した県道を歩き出すと直ぐに清水橋が架かっていました。
そして、旧道は今日のゴール地点のR20号まで、約4㎞県道を下っていきます。
11時27分、清水橋 
104 清水橋
清水橋を渡り道なりに右にカーブし、約210m先の2つのヘアピンカーブを曲がった右側(清水橋から約350m)に桃の木茶屋跡があり、標柱が建っていました。
11時32分、桃の木茶屋跡(右側)
105 桃の木茶屋跡
桃の木茶屋跡から約450m県道を下ってくると、大持沢橋があり、橋を渡って道なりに右に曲がって進みます。
11時38分、大持沢橋
106 大持沢橋
大持沢橋から約300m県道を下ると左側の少し高いところに飯田コンクリートといういう会社があり、コンクリート製品が積まれていました。
11時43分、飯田コンクリート入口(左側)
107 飯田コンクリートの工場
飯田コンクリート入口付近から約260m歩くとT字路のような分岐となり、右に直角に曲がります。
左に行くと山の中に入っていきますので、気を付けて下さい。
ヘアピンカーブを右に曲がって約230m下ってくると天狗橋があり、橋の手前の右側に津島大明神の祠が祀られていました。
12時04分、津島大明神(右側)
108 津島大明神
直ぐ先の天狗橋を渡ると旧街道は左折(黄色矢印)するようにほとんどの資料に記されているのですが、天狗橋を渡って右折(白矢印)すると「日影一里塚」があると云うので、Mさんに「行ってみないと分かりませんが、行ってみたいので」と了解を頂き、半信半疑の状態で行くことにしました。
12時05分、天狗橋
109 天狗橋
天狗橋を渡って右折すると動物除けのネットが設けられており、「開けたら閉めること」と記された注意書きにしたがって扉を開閉して中に入りました。
12時06分、動物除けネット
110 動物除け柵
資料に「コンクリート道を3分(約200m)」と記されていたので、そのとおりコンクリート道を進みました。
111 最初のCo道
コンクリート道が終わると、グチャグチャ道となりました。
112 泥土道
資料ではコンクリート道が終わってから約50m先と記されていましたが、約100mのグチャグチャ道を歩き易いところを選びながら歩くと、左側に日本橋から28番目の一里塚があり、馬飼一里塚と記された白い標柱が建っていました。
※馬飼一里塚は、「以下、日影一里塚と表示します」
113 日影一里塚碑の眺め
12時11分、028日影一里塚跡(左側)
115 日影一里塚・解説
半信半疑で見に来たのですが、資料に記されていたとおりだったので、Mさんに「無かったらどうしようと思っていましたが、史跡があってホッとしました」と話しました。
また、一里塚碑が建っている道はまだ先に続いているので、「この道が旧街道なの?」と疑問に思いながら来た道を戻りました。
甲州道中は古道と新道があり、日影一里塚碑が建っていた道が古道なのかもしれません。
来た道を戻ると、グチャグチャ道とコンクリート道の境付近の右側(日影一里塚に向かう時は左側になる)に、国土地理院の一等水準点がありました。
12時16分、一等水準点(697.88m)
88m
コンクリート道を通り、動物除けネットを開閉し、天狗橋を渡った分岐に戻り、地図に記された黄色矢印方向に進みました。
12時19分、天狗橋分岐
118 分岐
分岐から約20m(日影上バス停の手前)先の右側に、芭蕉句碑が建っていました。
12時20分、芭蕉句碑(右側)
119 芭蕉句碑
芭蕉句碑から約70m歩くと左側に消火栓があり、その手前に馬飼宿脇本陣跡の標柱が建っていました。
12時22分、馬飼宿脇本陣跡(左側)
120 脇本陣碑
脇本陣跡から約100m歩くと左側に、馬飼宿本陣跡(標柱)と明治天皇御小休所跡(石碑)があり、それぞれ碑が建っていました。
12時24分、馬飼宿本陣跡(左側)
122 本陣跡碑
※明治天皇御小休所跡
123 明治天皇御休所跡
本陣跡から約20m先の左側に旧馬飼宿絵図が建っていました。
12時26分、馬飼宿絵図(左側)
124 馬飼宿碑
絵図から約80m歩くとバス停の手前に左に下る道があり(分岐入口右側に道標が建っている)、旧街道は左に分岐します。
12時28分、日影分岐(左入る)
125 分岐(左)
旧街道を下って行くと左側に、旧柏屋、旧大黒屋、旧吉野家と、江戸時代の旅籠跡だった家並みが続いていました。
12時30分、馬飼宿の旅籠跡の家並み(左側)
126 馬飼宿の街並み
大黒屋は、現在サンガムという軽食喫茶の店として旅人の立ち寄り処として利用されています。
※私とMさんは行動食を持参し、甲斐大和駅に行く途中で立ち寄るかもしれないので立ち寄りませんでしたが、道中で出会った数組は立ち寄ったことをこの先で休憩している時に聞きました。
大黒屋から約20m歩くと、三叉路の真ん中に大きな松の木が建っていました。
年輪を感じさせる大きな松の木でしたが、特に史跡としての指定は受けていないようで、解説標板等は立っていませんでした。
※大きな松の木(三叉路中央)
127 松の木
旧街道は松の木を右側に見ながら右カーブしする細い舗装路を下ると古道橋があり、橋を渡って右側の大平建設の脇を通って坂道を下っていきます。
128 旧道
緩やかな坂を下っていると、目の前に中央高速の橋桁が見え、走る車を見ていると手前の下り線が1トラス分、奥の上り線より高くなっていとが分かりました。
今まで何回も走っていますが、このような構造になっているとは知らなかったので、今度車で通る時は意識して走りたいと思います。
12時37分、中央高速の眺め(右側)
129 中央高速の眺め
中央高速の橋桁の下を潜って約20m歩くと、左側に首なし地蔵群がありました。
12時39分、首なし地蔵群(左側)
130 首なし地蔵群
時間が13時近くになってきたので、他に良い場所がなく、地蔵群の隣りのコンクリートに座って昼食にすることにしました。
12時38分~12時56分、昼食
131 昼食
※持参した昼食
132 昼食
昼食を食べていると、私達の前を歩いていた人達が目の前を通り過ぎるので、
E=あれ、かなり前を歩いていたと思うのですが?
2人組=離れた別の処に食べに行ったので
E=そうですか。今日はどちらまで歩くのですか?
2人組=勝沼までです
E=気を付けて
と云って見送りました。
すると、少しして一人旅の人が目の前を通りすぎるので、2人組と同じように
E=何処かに立ち寄ったのですか?
一人旅=大黒屋で食べてきました
E=そうですか
一人旅=夫婦連れ(矢立の杉を過ぎた県道合流の処で出会った)が私が出る時に入ってきました
E=今日はどこまでですか?
一人旅=勝沼まで行く予定です
E=気を付けて
と云って別れました。
昼食を食べ終わり、細い下り坂を約170m下ると、今日の到着地に到着しました。
134 20号合流手前
今日の到着地である「R20大和橋西詰交差点」に着き、Mさんにお願いして到着の看板を掲げて到着式を行い、今回の旅を終了しました。
12時58分、R20大和橋西詰交差点(到着地
136 R20大和橋西詰(到着地)
【帰路】
到着地のR20大和橋西詰交差点を旧街道とは反対の大和橋方向に約50m歩くと日川に架かる大和橋を渡り、約100m先の甲州市大和町徳波歩道橋を潜った先でR20を横切り、県道203号を甲斐大和駅に向かいました。
137 帰路の分岐
県道に入ると地域のお祭りで、子供神輿とすれ違いましたが、賑やかに担ぐ子供達を見て、私が同じ年頃にお神輿を担いで地域を練り歩くと大人からご褒美としてお菓子をもらえるので、それに釣られて担いで歩いた時のことを思い出しました。
138 地域のお祭り
R20を横切ったところから約300m歩くと、左側に諏訪神社があり立ち寄りました。
13時10分、諏訪神社(左側)
139 諏訪神社
諏訪神社には4面が彫り物が施された本殿と初鹿野の大杉跡があるのですが、まず先に本宮に行きお賽銭をご奉納して参拝し、Yumiさんの病気平癒をご祈願しました。
4面が彫り物が施された本殿
141 本殿
本殿の周囲に刻まれた彫り物は、竹林の七賢人、上り龍、下り龍等で、彫り物はとても巧妙にできており、その華麗さは類を見ないもですが、野ざらしに近い状態になっているのはとても残念です。本殿は県指定文化財となっているので、大切に保存して頂きたいと思いました。
彫り物
142 本殿の彫り物
初鹿野の大杉跡
143 初鹿野の大杉跡
大杉は笹子峠の矢立杉(北都留郡大月市笹子町)、甲斐奈神社橋立の大杉(東八代郡一宮町)と共に甲州街道の三本杉といわれた巨木で、明治36年に鉄道が開通し、その振動と蒸気機関によるばい煙のためか、樹勢が衰えかけたので、名木をして永く大杉の存続を願い鉄道省より老樹慰謝金200円で培養保護に努めたが、神社の境内に枝葉繁茂して雄大な景観を誇っていた大杉は樹勢が衰えついに枯死し2,400円で払い下げられて伐られたました。
・樹幹の周囲目通し=二丈八尺(8.48m)
・樹幹の根周囲=三丈八尺(11.5m)
・樹高=約十七間半(31.8m)
・樹齢=371年
諏訪神社を出て県道を駅に向けて歩くと、Mさんから「昼食を食べましょう」と声がかかり、R20に出る手前の食事処に立ち寄りました。
13時20分~13時47分、食事処あまの
145 昼食(食事処あまの)
店には入ると男性4人組がお祭りの宴会をしているところで、私達は窓の近くの席に座り、私は生ビールと冷し(中華)そば、アルコールがダメなMさんは冷し(中華)そばを注文しました。
Mさんと今日の旅の思い出を語りながら私は咽喉を潤し、そばでお腹を満たしました。
食事処を出て県道に戻り、約100m歩いた甲斐大和駅前の跨線橋を渡り、右折した左側に武田勝頼公の像が建っていました。
13時53分、武田勝頼公の像
147 武田勝頼像
13時58分、甲斐大和駅発
当初は14時30分発の立川行きに乗る予定にしていたので、朝の笹子駅での自動改札機の故障でパスモが乗車状態になっているのを直してもらっておこうとMさんが云われたので、甲斐大和駅に行くとこの駅も無人駅でパスモを直すことができないため、自動改札を通さずに下車駅で正規の形にしてもらうことにしてホームに降りて電車を待つことにしました。
ホームに降りると電車が停まっているので、車掌さんに行先を聞くと「高尾行き」と聞き、「乗って帰りましょう」と乗車すると、1分もしないで電車が発車しました。
Mさんと顔を見合わせて、「グットタイミングでしたね」と二人とも笑顔になりました。
※停まっていた電車はホームの上り線側ではなく、下り線側に停まっていたので甲府方面に行く電車とばかり思っていました。
下車駅でパスモの精算を行ってもらい、私はジバングの切符を買うためにMさんと別れ、ビュープラザに向かいました。
ところが長蛇の列で買うまでにかなり待つことになるため、後日改めて買いに来ることにしビュープラザを出て、4日に注文した靴下を石井スポーツに受け取りに行き、帰る途中にスーパーで夕食の弁当を買い、Yumiさんの処には立ち寄らないでそのまま家に帰りました。
【総評】
今日は、快晴の天気に恵まれ、雨の翌日にもかかわらず湿度も低く、ほとんど汗を流すことなく快適に歩くことができ、標高差約500mの笹子峠を越えました。
峠越えは、急登あり、急坂あり、細い丸太橋を渡ったり、道なき道を歩いたりと、「これが街道?」と思わせる大変な部分もありましたが、無味乾燥の舗装路を歩いているより遙かに変化に富んでいて楽しい旅をすることができ、一緒に歩いてMさんも喜んでいました。
また、甲州道中旅をスタートしてから初めて3~4組の街道ウォーカと一緒になるなど、賑やかな旅となりました。

【次回の予定】

次回(第10回)は11月13日(金)に「国道20号大和橋西詰交差点から酒折駅前交差点までの17.90㎞」を旅する予定です。
笹子峠を越えた旅は、これからは舗装路の旅となり、山道を歩く楽しさはなくなりますので、Mさんとの会話を楽しみながら自動車に気を付けて旅をしたいと思います。

【街道旅のご案内】
※《街道旅-1》 旧東海道夫婦二人旅
H24.03.11に日本橋を出発し、H26.01.17に京都・三条大橋に到着するまでの37回のEiさんと認知症のYumiさん(要介護2)夫婦の旧東海道の旅ブログです。
ブログには、旅の途中で楽しんだ番外編(京都嵐山の紅葉、安土城址、神戸ルミナリエなど)や七里の渡し、佐屋街道の旅紀行も掲載しています。
街道ウォーカーの皆さんのお役に立てたら幸いです。
今回の旅は、出発日が東日本大震災と同じ日(1年目)、到着日が阪神淡路大震災と同じ日(19年目)と同じ日と、ともに大震災が発生した日になっていますが、これは意識して震災日に合せたわけではなく到着してから友人に教えられ気が付きました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-tokaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮宿の日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旧奥州街道の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道をあるくため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って歩き、五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/

【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
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https://michinoku-trail.blog.jp/