【天候】 晴れ・曇り
【宿場】(27)鶴瀬宿・・・(28)勝沼宿・・・(29)栗原宿・・・(30)石和宿
【行程】歩行距離=18.08㎞ 総距離=135.46㎞
R20大和橋西詰交差点⇒(3.09㎞)⇒深沢入口交差点⇒(3.14㎞)⇒等々力交差点⇒(3.75㎞)⇒日川橋北詰⇒(4.08㎞)⇒R411号合流⇒(4.02㎞)⇒酒折駅前交差点
【ルート図】
  宿場(黒囲みが第10回旅の宿場)
第10回宿場
  旧甲州道中の旅・進捗状況
第10回全体ルート
  第10回の旅ルート
   (R20大和橋西詰交差点 ⇒ 酒折駅前交差点)
第10回ルート
【旧甲州道中の旅】
《序章》
笹子峠を越え、今回は甲斐大和駅から約800m離れた国道20号大和橋西詰交差点から箱根駅伝で有名な山梨学院大学がある酒折駅前交差点(甲府駅の2駅手前)まで旅をします。
今回から山道から街場の舗装路の歩きになるので、長距離用のウォーキングシューズで歩きます。
《準備》
旅の準備で一番根気がいるのが、行程や史跡場所などを地図に書き込むことです。
今回はいろいろな用事が多く入ったため、前回旅のブログ作成や旅資料を作成する時間が取れず、やっと2日前に終わりました。
史跡の場所などを地図に書き込む作業は大変ですが、私自身は結構楽しんで作業をしているので、いままで大変と感じたことはありません。
逆に、どのあたりに何があるということがインプットされて旅の効果を高めています。
今回もネット情報(先人のブログやHP)を参考にして準備を始めると、旧街道を歩く道が部分的に違っていたり、史跡の場所が違っていたりしたため、他のネット情報を調べ何処にするか判断しています。
《移動》
目覚ましの音楽で目を覚まし、洗面、血圧・体重測定、両足のケアを行い、用意しておいた衣服を着て旅支度を整えました。
今日はこの秋、一番の寒さになったので、最初考えていなかったダウンジャケットを着用して自宅を出発しました。
朝の澄み切った冷たい風を顔に受けながら最寄り駅に向かい、最寄り駅でMさんと合流し旅に出発しました。
08時01分、甲斐大和駅着
002 甲斐大和駅
駅舎を出ると駅前には大菩薩嶺に向かうバスが停まっており、座席はほぼ満席に近い状態になっていました。
私とMさんはバスの前で駅舎をバックに写真を撮り、バスとは反対方向の今日の出発地に向けて出発しました。
駅を出て県道203号を約450m歩くと、国道20号に合流し、約100m歩くと日川に架かる大和橋があり、大和橋を渡った先の出発地です。
※大和橋
003 大和橋
橋を渡りながら右側の山裾を見ると、木々が紅葉に色付いていました。
004 大和橋の紅葉
【=旅=】
08時15分、R20大和橋西詰交差点(出発地)
005 大和橋西詰交差点(出発地)
出発地の国道20号の大和橋西詰交差点に立ち、相方のMさんにセレモニーの協力をお願いし恒例の出発式を行い、旅をスタートしました。
出発して約180m歩くとR20から左側に分岐し、R20に並行した立会橋を渡ります。
08時18分、立会橋
006 立会橋
立会橋を渡り終えたところでR20と分岐して左に進み、約25m歩くと左側に地蔵尊がありました。
08時19分、金岡自画地蔵尊(左側)
007 金岡自画地蔵尊石碑
地蔵尊から約20m先の右側に、鶴瀬関所跡があり、標柱と解説パネルが建てられていました。
08時20分、鶴瀬関所跡
008 鶴瀬関所跡
関所跡から約15m歩くとR20と合流しますが、旧道中はR20を斜めに横切るのですが、現20号を横切った左側に鶴瀬宿碑と標柱が建っていました。
08時25分、鶴瀬宿碑(左側)
010 鶴瀬宿碑(脇本陣跡)
宿碑の脇に建っている絵図によると、この辺りは脇本陣跡で、本陣跡は塩野家が務めていたそうなので、数軒先の塩野家が本陣跡と勝手に決め込んで記録に残しました。
※鶴瀬宿本陣跡?(塩野家)=右側
011 鶴瀬宿本陣跡(塩野家)
旧道中は下の写真のようにR20を斜めに横切ります。
写真の中央左寄りの電柱の脇に鶴瀬宿碑があります。
012 分岐(左)
R20を横切った旧道中は、左に曲がりながら再びR20に合流しますが、合流する手前の右側に1803年に建立した常夜燈が残っていました。
08時29分、常夜燈(右側)
013 鶴瀬宿常夜燈
R20に合流して約130m歩くと、国道の歩道より一段高いところを歩ける道がありますが、カーブした先で合流するので、どちらを歩いても同じです。
014 分岐(先で合流)
どちらを歩いても同じ道が合流した処から約400m歩くと右側に真龍寺があり、寺院からさらに約200m歩いた右に上る道の脇に古跡「血洗澤」の標柱が建っていました。
08時40分、古跡・血洗澤(右側)
015 血洗澤碑
血洗澤碑から約450m歩くと、ブロック積の擁壁の上に鞍懸の標柱が建っていました。
08時46分、鞍懸の標柱(右側)
016 鞍懸の碑
鞍懸の標柱を記録に残し約110m歩くと、正面にトンネル(隊道)があり、トンネルの手前に右に上り坂があり、旧道中は細い脇道に入ります。
08時50分、観音堂旧道入口(右側)
017 分岐(右)
急坂を登ると左手に聖観音堂の標柱があり、標柱に沿うように右へ曲がりながら進みます。
018 観音堂標柱とY字路分岐(左)
Y字路を左に進み、右に行くと墓地に出てしまいますので、注意して下さい。
020 歩行路
坂を登って行くと道の両側に灯篭が建っていますので、灯篭があれば道は正解です。
距離は測定していませんが、観音堂標柱の脇から約2分くらいです。
021 燈籠
灯篭の間を抜けてさらに登ると赤い屋根の観音堂が右側に建っています。
※観音堂(右側)
022 観音堂
お堂の前を左折すると両側に灯篭があり、間を抜けると甲府盆地が眺められる崖の突端で、安藤広重が「古今絶景地」と評したところです。
023 急下り坂①
私とMさんは突端からの細い急坂の崖道(鎖もガードもない)に神経が集中し、景色を見ることを忘れていました。
024 急下り坂②
細い砂利混じりの崖道から滑り落ちないように慎重に歩き、鉄パイプのガードが付いた場所に下り下道に合流したところで、左折して舗装路を進みます。
観音堂からの下り道は笹子峠より厳しい道で、笹子峠を上回る厳しい道を歩くとは考えていなかったので、驚きました。
09時00分、下道に合流(左折)
025 下道合流点
合流地点から約40m歩くとR20の下を潜ります。
026 国道20号下
R20の下を潜ると左側に武田不動尊の標柱と常夜燈が建っており、下に下りれる階段が設けられていました。
09時02分、武田不動尊標柱・常夜燈(左側)
027 武田不動尊標柱・燈籠
Mさんに「下に行きますか?」と聞くと「行きません」と云うので、標柱などを記録に残して先に進むと、滝の音がするので左側を覗くと木々の間から少し水の流れが見えました。
※武田不動尊の滝(左側)
028 日川の滝
滝は下って不動尊の近くに展望台があり眺められるそうです。
不動尊の標柱から約110m歩くと、左側に旧道中標柱が建っており、歩いている道が正しいことにホッとしました(旧道中標柱は右側にも左側より約10m先にも建っていました)。
09時06分、旧甲州道中標柱(左側)
029 旧甲州街道標柱
※横吹地区からの紅葉と甲府盆地の眺め
030 横吹地区からの紅葉の眺め
横吹の旧道中を歩くとR20に合流し、道路を渡って進行右側に移り歩道を進みました。
09時15分、分岐(R20合流)=直進
031 R20合流
合流地点からR20を約500m歩くと117.4㎞距離標(白丸印)が設置されており、横吹一里塚があったところではないかと推測されているところです(現在は史跡を記すものは何もなし)。
※117.4㎞距離標付近=横吹一里塚跡?
4㎞付近)
117.4㎞距離標から約60m先の左側に、大和町・勝沼町モニュメントが設置されていました。
09時22分、大和町・勝沼町モニュメント(左側)
033 大和町・勝沼町モニュメント
モニュメントから約170m歩くと深沢交差点があり、交差点の道路を渡った右側に新撰組の近藤勇の像が建てられていました。
09時24分、深沢入口交差点
034 深沢交差点
※近藤勇の像(右側)
035 近藤勇の像
深沢交差点の右側には、柏尾古戦場跡碑、柏尾橋由来記、柏尾坂の馬頭観音、明治・大正の柏尾橋などの史跡が公園風に整備されて残されていました。
※柏尾古戦場跡・柏尾橋碑
036 柏尾古戦場跡標柱・柏尾橋碑
※馬頭観音像・解説碑
037 柏尾坂の馬頭観音
※公園風史跡展示
038 柏尾橋脇の史跡群
※明治時代の柏尾橋跡
039 明治柏尾橋跡
039-1 解説
※大正時代の柏尾橋跡(白丸印は当時の橋台跡)
040 大正柏尾橋
040-1 解説
※現在の柏尾橋
041 昭和柏尾橋
柏尾橋を渡って約150m歩くと、718年建立で、甲斐第一の寺、別名「ぶどう寺」といわれている大善寺があり立ち寄りました。
09時33分、大善寺(右側)
042 大善寺入口
入口の看板に国宝・史蹟民宿と、何とも奇妙な看板が掲げられていました。
国宝は本堂と薬師堂で拝観するには拝観料が必要で、史蹟民宿の意味は分かりません。
ただ10名以上で予約すると昼に精進料理が食べられるそうです。
Mさんに「有料ですが、どうしますか?」と聞くと、「見なくていい」というので、外から見れるところを見ようと仁王門に向かいました。
※仁王門
044 仁王門
仁王門を潜ると階段があり、仁王門に「ここから先は拝観料が必要です」と張り紙が貼られており、私とMさんは仁王門から見れる紅葉を見て旧道中に戻りました。
※仁王門からの紅葉の眺め
045 参道階段・紅葉
大善寺を出て約250m歩くと柏尾交差点となり、後ろから歩いてきた夫婦連れに会いました。
09時44分、柏尾交差点
048 道路標識
旧街道はこの交差点を右折して塩山・山梨・勝沼方面に向かうのですが、追いついてきた夫婦に、
M=街道旅ですか?
夫=そうです
M=どちらまで行かれるのですか?
夫=石和です
M=温泉に入いられるのですか?
夫=そうです
M=気を付けて
と云って別れ、夫婦連れは私達を追い越して先に行きました。
「地図を持たないで旧道が分かるのだろうか?」、「20号を歩いているのでは?」などと、先に歩いて行った夫婦のことを話してながら出発しました。
さて、我々の旅ですが、交差点を右に曲がって進もうとすると、Mさんが「あそこに史跡がありますよ」と云って道路の反対側の交差点を渡った先に史跡の標柱が建っており、信号の合間を縫って道路を渡り史蹟の標柱のところに移動しました。
049 柏尾交差点(分岐・右)
道路を渡った進行左側の交差点の角に、「御身影岩」と記された標柱が建っており、記録だけ残して進行右側に交差点を渡って戻りました。
09時46分、御身影岩(左側)
050 御身影岩標柱
この辺りは勝沼ぶどう郷のとおり、進行左側には名物の「ぶどう園」が軒を連ねています。
交差点から約350m歩くと左側の仁果園の道路反対側に国見坂碑が建っていました。
09時51分、国見坂碑(右側)
051 国見坂標柱
国見坂碑を過ぎると道路の反対側に鈴木園があり、紅葉が見事な色付きなっており、眺めながら通り過ぎました。
09時52分、鈴木園の紅葉(左側)
052 鈴木園の紅葉
鈴木園から約260m歩くと右側に上行寺の石碑が建っており、道路反対側に勝沼宿の標板が建っていました。
09時56分、上行寺入口(右側)
053 上行寺・石碑
09時56分、勝沼宿碑(左側)
054 勝沼宿碑
勝沼宿碑の隣りに勝沼氏館跡の駐車場があり、駐車場を入った奥に跡碑が建っていました。
※勝沼氏館跡駐車場(左側)
055 勝沼氏館跡
勝沼氏館跡駐車場を出て、進行方向右側に渡って約50m歩くと甲州タクシーの前に勝沼宿脇本陣跡の標柱が建っていました。
10時00分、勝沼宿脇本陣跡(右側)
056 勝沼宿脇本陣跡
脇本陣跡から約60m歩くと上町交差点となり、道路反対側に昔懐かしい日用品を売る三森商店がありました。
10時01分、三森商店(左側)
057 三森商店
上町交差点から約50m歩くと勝沼宿の本陣跡があり、槍掛けの松が生育されていました。
10時02分、本陣跡・槍掛けの松(右側)
058 本陣跡・槍掛けの松
※格子戸と白壁蔵が建つ勝沼宿の現在
060 旧家の家並み
本陣跡から約70m歩くと、商家建築で史跡として残っている仲松屋がありました。
10時04分、仲松屋(商家建築)=左側
061 商家建築・仲松屋跡
東側(向って左側)が江戸時代、西側(向って右側)が明治時代に建てられたものだそうです。
仲松屋から約140m先の右側(ヘアーサロン向山の前)に、三階建ての蔵が残っていましたが、かなり外壁が傷んでおり、修復が必要な状態になっています。
10時09分、三階建ての蔵(右側)
063 三階建ての倉
3階建ての蔵から約60m歩くと、右側に田中銀行がありました。
10時10分、旧田中銀行博物館(右側)
064 旧田中銀行社屋
明治時代に建てられた洋風建築の建物で、内部を見学したいと思っていたのですが、11月~3月は土・日だけの開館のため、金曜日の今日は閉館されており見学することが出来ませんでした。
064-2 開館案内
旧田中銀行博物館から約150m歩くと、右側に「海抜400m・経度緯度」碑、ようあん坂標柱が建っていました。
10時14分、海抜400m・経度緯度碑(右側)
065 ようあん坂碑・海抜400m碑
ようあん坂碑の直ぐ横で勝沼小学校正門の左側に、明治天皇勝沼行在所跡、勝沼学校跡碑(標板)が建っていました。
10時14分、明治天皇勝沼行在所跡、勝沼学校跡碑(標板)=右側
066 勝沼学校跡・明治天皇行在所址
※ようあん坂
067 ようあん坂
ようあん坂を約230m下ると廃業している右側の塩山写真館の道路真向いに、赤レンガ積み塀の家があり、記録に残しました。
10時19分、赤レンガ塀の家(左側)
068 旧家・赤レンガ積み塀
赤レンガ塀の家から約190m進むと、左側に護念寺があり、参道の途中に鐘楼門があり、境内で休憩することにしました。
10時23分、護念寺・鐘楼門(左側)
069 護念寺・仁王門
ここまでゆっくりと休憩していないので、ザックを降ろし、持参したスポーツ羊羹を食べ、体調を整え再出発しました。
10時23分~10時30分、休憩
護念寺を出て勝沼地域総合局入口交差点を過ぎるなど約550m歩くと早川商店(右側)があり、その手前を右折して約100m歩くと境内に天神様・お稲荷様・石尊様などの諸社が祀られている諏訪神社がありましたが、同行のMさんに「立ち寄ります?」と聞くと「いえ、寄りません」と答えが返ってきたので、そのまま通過しました。
そして早川商店を過ぎて約160m歩くと、右側に入る路地の角に球形道祖神と常夜燈が建っていました(左側はぶどう狩りの自由園)。
10時40分、球形道祖神・常夜燈(右側)
070 常夜燈・球形道祖神
道祖神から約200m歩くと等々力交差点があり、そのまま真っ直ぐに渡って前進します。
10時43分、等々力交差点
071 等々力交差点
等々力交差点を渡り、右側の勝沼等々力簡易郵便局を過ぎるなど約210m歩くと、左側のヤマザキデイリーストアの前に、大きな古民家の「ほうとう」で有名な「皆吉」があり昼食に立ち寄りました。
10時47分~11時45分、昼食=ほうとう「皆吉」(右側)
072 ほうとう・皆吉
最初は皆吉ということが分からず、「大きな古民家だ」と云っていたのですが、地図を確認すると、この古民家(約130年の歴史がある建物)が皆吉ということが分かりました。
皆吉は11時開店ということで開店まで待つのですが、既に2組が並んでおり、3組目に並びました。
開店までに5組が並び、待っている時に注文取りがあり、私は野菜ほうとう、Mさんはきのこほうとうを注文しました。
※お品書き
072-1 おしながき
開店となり順番に店内に入り、私とMさんは靴を脱ぎたくなかったので、土間のテーブル席に座り、配膳を待ちましたが、出来上がるのに時間を要し、配膳をされたのが入店してから20分してからでした。
待っている間にも入店があり、私達に配膳された頃には平日にも関わらずほぼ満席状態になっていました。
※野菜ほうとう

073 野菜ほうとう
配膳された出来立てのほうとうをフーフー云いながら食すと、薄味の味噌煮込みのほうとうはさっぱりとした味で噂どおり美味しく、スープを少し残しただけで全て食べ切りました。
約1時間、昼食を味わい、皆吉を出発しました。
皆吉を出て路地を隔てたところに延命地蔵堂が建っており、杉御坊と文政の常夜燈が建っていました。
11時47分、延命地蔵堂・文政の常夜燈(右側)
075 延命地蔵堂・文政の常夜燈・杉御坊
延命地蔵堂から約300m歩くと、右側にロリアンワイン(白百合酒蔵)のワイン工場があり、食べたばかりですが試飲出来るというので、立ち寄りました。
11時50分~11時58分、ロリアンワイン(右側)
076 白百合酒造・ロリアンワイン
建物に入ると先客はおらず私とMさんだけで、従業員も急いでそれぞれの配置に着き、ワインの試飲を勧められました。
今日はこの10㎞近く歩くため、少しずつ試飲させて頂きました。
※試飲場
077 試飲会場
私はほとんどワインを飲むことはありません(現役の頃、ワインで酔いつぶれた苦い経験があり、それ以来ワインを飲むのを避けています)。
久し振りに飲んだワインはとても美味しく、その中でこのワインが一番気に入りました。
※美味しかったお奨めワイン
078 辛口の赤ワイン
※ワイン工場
079 ワイン樽
旅が遅れているため、試飲の時間を短縮して先に進みました。
ロリアンワインを出て直ぐの右側に、甲州市から山梨市に入る市境標識が建っていました。
11時59分、市境標識(甲州市から山梨市)=右側
080 山梨市市境標識
ロリアンワインを出発して途中、上栗原交差点を真っ直ぐ渡り、左側の富士植木山梨支店を過ぎた先の小さな分岐を道なりに左に進むなど、約1.1㎞歩くと左側に大戸屋研修センターの前に小さなお社を祀った神社があり、道路端でしたが帽子を取って一礼して通り過ぎました。
12時13分、小さな神社(右側)
081 小さい神社
小さな神社から約230m歩くと、分岐があり、右に進みます。
※分岐(右)
082 分岐(右)
分岐から約20m先に十字路があり、道中は真っ直ぐ(黄色矢印)に進むのですが、私達は十字路を右折(白色矢印)して大宮五所大神に立ち寄りました。
※十字路分岐(右折)
083 分岐
12時16分、大宮五所大神
084 大宮五所大神・鳥居
神社には明和・安政年間の絵師が描いた浮世絵風芝居の絵馬が奉納されているのですが、見ることはできませんでした。
※絵馬奉納の説明板
087 絵馬の解説
また、神社の境内に山梨市天然記念物のクロマツが植生されていました。
086 クロマツ(山梨市天然記念物)
神社を出て右折した十字路に戻り、十字路を右折して道中に戻り約20m歩くと、道中は直角に左折しています。
その左折する角に旧旅籠の源屋だった源屋園があり、敷地に名残りの松が建っていました。
12時22分、源屋園(右側)
088 旧旅籠・源屋
新しく建てられた住居の屋根を見ると、姓入りの鬼瓦が備えられていました。
※姓入りの鬼瓦
089 鬼瓦(名入り)
直角に左折して約40m歩くと国道411号が通っており、国道をそのまま真っ直ぐに横切り(※1)、細い道を約150m進むと日川の土手道に合流(※2)し、道なりに右に進みます。
(※1)国道411号を横切る
090 分岐(直進)
(※2)日川の土手道に合流
091 分岐(右)
日川の土手道を約110m歩くと、右折すると下栗原交差点に通じる新日川橋(北詰)の十字路となり、真っ直ぐ横切って進みます。
※新日川橋(北詰)
092 分岐(直進)
十字路から約300m歩くと正面右手に電波塔があり、その手前の右に入る道を右折します。
※分岐(右折)
093 分岐(右折)
土手道を右折して約45m歩くと再び国道411号に突き当り、左折しましす。
※分岐(左折)
094 分岐(左折)
国道411号を約150m歩くと、右側に上杉ボデーがあり、その真向いに道中碑が建っていました。
12時37分、道中碑(左側)
095 旧街道標柱
旧道中碑から約150m歩くと左側に日川警察官駐在所があり、その先隣りに明治天皇小休所址碑が建っていました。
12時42分、明治天皇小休所址(左側)
096 明治天皇小休所址
址碑は、道路から90度左向きに向いて建っており、何故このような向きに設置したのか分かりません。
址碑から約70m歩くと農機具販売の店があり、見たことがない機器が展示されていたので、記録に残しました。
※農機具販売店(右側)
097 農業機械
農機具販売店から約150m歩くと、プロレスのジャンボ鶴田さんや小説家の林真理子さんを輩出し、ラグビーや高校野球でも全国大会に出場している日川高校に通じる交差点があり、そのまま日川高校を右側に見て通り過ぎました。
12時45分、日川高校入口交差点(右側)
098 日川高校前交差点
日川高校入口交差点から約120m歩くと右側に旧家の大きな家があり、道路の反対側に石鳥居のある石塔群がありました。
※大きな家(右側)
099 旧家の大きな家
※石鳥居と石塔群(左側)
100 鳥居と石塔群
鳥居のある石塔群から約130m歩くと、右側に異形の枝ぶりになった松が植生されている家がありました。
12時49分、異形の松(右側)
101 異形の松①
102 異形の松②
松の家から約90m歩くと一町田中交差点となり、道中は左折(黄色矢印)するのですが、右に曲がる(白色矢印)と田安陣屋跡があり、見学するために右折しました。
12時51分、一町田中交差点(右折)
103 一町田中交差点
交差点から約110m歩くと左側に水上稲荷神社があり、神社の前に田安陣屋跡碑が建っていました。
12時53分、田安陣屋跡(左側)
104 田安陣屋跡
※水上稲荷神社・本殿(左側)
107 水上稲荷神社・本殿
水上稲荷神社に参拝し、歩いてきた道を交差点まで戻り、一町田中交差点を真っ直ぐに横切って進みました。
※一町田中交差点(陣屋跡からの戻りは白色矢印のように直進。黄色矢印は陣屋跡に立ち寄らなかった場合の旧道中の道順)
108 一町田中交差点
一町田中交差点を横切った道は、約200mで日川の土手道に突き当り、右折して進みます。
※分岐(日川土手道=右折)
109 分岐(右折)
土手道を約130m歩くと日川に架かる日川橋があり、左折して日川橋(北詰)を渡ります。
なお、歩道が進行右側のため、道路を渡って右側を歩かないと交通量が多いので危険です。
13時01分、日川橋(北詰=左折)
110 分岐(日川橋北詰)左折
※日川橋
111 日川橋
日川橋を渡りきったところを左折するため、車の往来を確認して道路を渡り、日川南側の土手を歩きます。
※日川橋(南詰=左折)
112 分岐(日川橋南詰)左折
ほとんどの先人が歩かれた旧甲州道中は、日川橋を渡った南詰を通り過ぎて左側の甲斐犬の犬舎前(六花荘)を右折しているのですが、旧道は左折して約80m先の細い階段道を下り、田中旧道を歩きます。
※田中旧道入口(右折)
113 分岐(右折・階段下り)
※細い階段道を下り、下ったところを右折して田中旧道に入ります。
114 階段下り
※田中旧道の眺め
115 田中旧道
右側の甲斐犬の犬舎(犬舎の前はあまり人が通らないのか、凄い勢いで吠えられました)の横を通り過ぎ、車道真っ直ぐに渡りました。
※甲斐犬の犬舎横(直進)
116 分岐(直進)
甲斐犬前の道路から約50m進むと、右側に白山神社があり、境内に球形道祖神がありました。
13時11分、白山神社(右側)
117 白山神社
※球形道祖神(右側)
118 球形道祖神
白山神社を出て土手道に沿って約750m歩くと、右側に大きな石碑と白壁で中が三層になった土蔵が建っていました。
13時21分、宮下翁頌徳碑・白壁の土蔵(右側)
119 宮下翁頌徳碑・白壁の蔵
石碑から約230m歩くと土手道に突き当り、左に進みます。
※日川土手道分岐(合流=左折)
120 分岐(左折)
※モーテル・リバーサイドホテル(左側)
121 リバーサイドホテル
土手道を約300m歩くと国道411号に合流し、合流する左側に街道碑が建っていました。
13時29分、甲州桃太郎街道碑(左側合流点)
122 分岐・甲州桃太郎街道碑
旧道中は国道411号の合流地点から約600m先の県道314号の基点となる交差点まで幹線道路沿いを歩くのですが、真ん中付近までの約300mは歩道がない右側の車道を歩くので、大型車が走ってくると巻き込まれないように注意して歩かないといけない危険ゾーンです。真ん中から交差点までの約300mは歩道が出来ています。
13時36分、笛吹橋交差点(右折)
123 分岐(笛吹橋西)右折
※笛吹川に架かる笛吹橋
124 笛吹橋
13時39分、石和温泉郷東入口交差点(左折)
125 石和温泉郷東入口交差点
交差点を左折して国道411号を約110m歩くと笛吹橋西バス停があり、その前を右折して松並木に沿って左側に下ります。
※分岐(笛吹橋西バス停前)
126 分岐(右)
旧道中は笛吹川沿いに植生された松並木に沿って約300m歩くと、松並木の終わりのところで国道411号から分岐した道に合流します。
※笛吹川沿いの松並木(左側)
127 松並木
※合流(杉寿司手前)=右方向
128 分岐
合流地点の道路左側に笛吹川と呼ばれる語源となった笛吹権三郎像と球形道祖神が建っていました。
13時48分、笛吹権三郎像・球形道祖神(左側)
129 笛吹権三郎の碑・球形道祖神
笛吹権三郎像から約170m歩くと右側からの道と合流する直前の左側のブロック塀に沿った細い道に左折します。
※分岐(左折)
130 分岐(左折)
細い道を約50m歩き、最初の右折できる道に曲ります。
※分岐(右折)
131 分岐(右折)
細い道を歩くと右側に三井美容室があり、店舗を過ぎた先(右折から約170mの地点)を右折して、直ぐ(約10m)に左折するS字形に進みます。
132 分岐(直進)
S字状の地点からは真っ直ぐの道で、約290m歩くと小路の十字路があり、右前方にあった金魚の養殖池が無くなり、池は埋め立てられて売地になっていました。
また、金魚の養殖池の約50mくらい手前の右側にあったテアトル石和という映画館も倒産したのか建物は取り壊されていました。
14時02分、金魚の養殖池跡(右側)
133 金魚養殖池跡
無くなった養殖池跡の十字路から約500m歩くと、五差路が交差する地点となり、左側のかどや(食堂)と右側の積みブロック塀の間の道を進みます。
14時04分、五差路(左方向)
134 合流(左)
五差路から約90m歩くと左側の依田石材店の先で国道411号と合流し、右方向に進みます。
※合流(右方向)
135 合流(右)
合流地点から約120m歩くと、右側に遠妙寺があり、参道に江戸末期に建築された仁王門が建っていました。
14時09分、遠妙寺・仁王門(右側)
136 遠妙寺・仁王門
※石和歴史散策
136-1 解説
遠妙寺を出て約30m先に赤い鳥居の普賢願生稲荷堂がありました。
14時11分、普賢願生稲荷堂(右側)
137 普賢願生稲荷堂
普賢願生稲荷堂から約180m歩くと高速バス停があり、バス停の斜め前に石和本陣跡の標板が建っていました。
14時14分、石和本陣跡(右側)
138 石和本陣跡
本陣跡のところで車の往来の合間を縫って道路の反対側に移動して約70m歩くと、石和小林公園があり、公園の中央に小林中翁の居宅跡があり、右側に文庫蔵がありました。
14時16分、小林中翁の像(左側)
139 小林中翁の像
※小林中翁の文庫蔵(像の右側)
140 小林中翁の文庫蔵
石和陣屋跡が石和南小学校の校門前にあるというので、公園の中を通り見に行きました。
14時18分、石和陣屋跡(右側)
141 石和陣屋跡
陣屋跡を記録に残し、公園内を通って県道301号の旧道中に戻り、先に進みました。
公園を出て約130m歩くと石和温泉駅入口交差点があり、柏尾交差点で出会った夫婦が云っていた「石和温泉まで歩いて、温泉に入って帰ります」という言葉を思い出しながら交差点を渡り、先に進みました。
14時24分、石和温泉駅入口交差点
142 分岐(石和温泉駅入口)
※笛吹警察署北交差点(直進)
143 分岐(笛吹警察署北交差点)
笛吹警察署北交差点から約110m歩くと甲運橋東詰交差点があり、真っ直ぐに渡ると甲運橋があり、交差点から甲運橋のあたりに石和一里塚があったと伝えられています。
14時27分、石和一里塚跡付近(?)
144 石和一里塚跡(甲運橋付近)
甲運橋を渡ると笛吹市から甲府市に入る市境標識が建っていました。
14時28分、市境標識(笛吹市から甲府市)=右側
145 甲府市市境標識
市境標識から数メートル先の右側に、道標が国の管理地内に残っていました。
14時28分、道標(右側)
146 道標
道路は道標の先でY字路になっており、旧道中は左に進みます。
※写真は歩いてきた方を見たところ
147 分岐(左)
甲府市に入った国道411号は城東通りと呼ばれ、甲府警察署の基点まで続きます。
Y字路を左に進み約200m歩くと平等川に架かる平等橋があり、そのまま渡りました。
※平等橋
148 平等橋
平等橋を渡り約280m歩くと奥藤第二分店があり、店舗の前に「とりもつ神社」があるというので、見に行きました。
※奥藤第二分店(右側)
150 奥藤
14時35分、とりもつ神社(右側)
151 とりもつ神社
とりもつ神社は平成23年12月に建立され、お社の前に以下のように記されていました。
「みなさまの縁をとりもつ神社」
この神社は皆様の良縁をとりもつ事を祈願して建立されたものです。
縁から生まれるものは人と人との絆。皆様により良きご縁が結ばれますようお祈り致します。
また、店舗の前の駐車場には、一風変わったトイレが建っていました。
※一風変わったトイレ
152 トイレ
奥藤第二分店から約60mでアリア入口交差点があり、交差点を過ぎた右側に山梨県青少年センターがあり、その脇に「信光の館」跡があると史料に記されていましたが、Mさんに聞くことなくそのまま通り過ぎました。
そしてアリア交差点から約260m先の右側にローソンがあり、その前に歴史を漂わす家があり、改装しているところでした。
どのように改装されるのか、期待したいと思います。
14時41分、旧家(左側)
153 旧家の長屋門
154 旧家の建物
旧家から約80m歩くと甲運小入口バス停があり、和戸町由来碑と石碑群がありました。
14時43分、和戸町由来碑・石碑群(右側)
155 和戸町由来碑
甲運小入口バス停から約800m歩くと横根跨線橋南交差点があり、真っ直ぐ渡りました。
156 横根跨線橋南交差点
横根跨線橋南交差点から約210m歩くと左側のカクイチの真向いに二宮金次郎像と常夜燈が建っていました。
14時57分、二宮金次郎像・常夜燈(右側)
157 二宮金次郎碑
二宮金次郎像から約230m先の松原交差点、さらに約100m歩くと十郎川に架かる十郎大橋があり、橋を渡って約350m歩くと青梅街道の終点(追分)となる山崎三差路交差点です。
15時05分、山崎三差路
158 山崎三叉路
旧甲州道中は交差点を真っ直ぐ(白色矢印)に進むのですが、青梅街道に設置されている中央線の踏切を渡ってみたいと思い右折(黄色矢印)して青梅街道を進みました。
山崎三差路から約50m歩くと「中央本線第4青梅街道踏切」があり、記念に渡りました。
※中央本線第4青梅街道踏切
159 中央本線第4青梅街道踏切
青梅街道は新宿の角筈を基点に青梅市を経由して、ここ山崎三差路交差点が終点です。
甲州道中の旅で、新宿の角筈を経由してきているので、基点と終点を記録に残すことができ良い思い出を作ることができました。
踏切を渡り約10m先の左側に、摩利支天尊堂がありました。
15時07分、摩利支天尊堂(左側)
160 摩利支天尊堂
お堂の直ぐ隣り(横根交差点の手前左側)に、球形道祖神が建っていました。
※球形道祖神(左側)
161 球形道祖神
歩いてきた青梅街道を山崎三差路に戻り、終点から青梅方面に向けて記録に残しました。
※青梅街道終点からの眺め
162 青梅街道
山崎三差路から約10m進むと右側に山崎刑場跡と供養塔・六地蔵が祀られていました。
15時09分、山崎刑場跡・供養塔・六地蔵(右側)
163 山崎刑場跡
※供養塔と六地蔵
164 供養石塔・六地蔵
山崎刑場跡から約130m歩くとY字路の分岐があり、分岐点に酒折宮日本武尊御・・跡社標が建っていました。
また、ここは酒折宮の旧参道口でもありました。
15時12分、酒折宮日本武尊御・・跡社標(分岐点)
165 酒折宮日本武尊碑
旧甲州道中はY字路を左に進みます。
分岐から210m歩くと左側に箱根駅伝などで有名な山梨学院大学丸善キャンパスがありました。
15時14分、山梨学院大学丸善キャンパス(左側)
166 山梨学院大学・正門
近代的な建物が並ぶ山梨学院大学を左に見ながら約260m歩くと、今日の到着地である「酒折駅前交差点」に着きました。
15時16分、酒折駅前交差点(到着地)
167 酒折駅前交差点(到着地)
交差点で恒例の到着式を行い、約200m先の酒折駅に向かいました。
【帰路】
15時20分、酒折駅着
168 酒折駅
乗車する酒折駅は甲府駅の2つ手前の駅で、特急列車は停まりません。
※電車を待っている20分くらいの間に特急が2本通過しました。
そのため16時台は2本と30分間隔です。
15時42分、酒折駅発
169 乗車列車
ホームのベンチに腰掛けて電車を待っている間、小学生の子供達がホームを駆け回って遊んでいました。
170 酒折駅ホーム
定刻に着いた30%くらいの乗車率の6両編成の電車に乗り、帰路に着きました。
ホームで待っている時に、Mさんから頂いた栄養ドリンクが効いたのか、座っていても睡魔に襲われることなく目を閉じて、今日の旅を思い出しながら乗っていました。
大月駅で多くの人が乗降した以外は、山行帰りの人もほとんどおらず、カタコトカタコトと各駅停車の電車で帰ってきました。
アルコールが苦手なMさんは真っ直ぐ家に帰って病み上がりの奥さんの食事を作るとのことなので、私も弁当を買って帰ろうかと考え飲食街に寄らないで家に帰りました。
【総評】
事前に調べた時の情報では、大変なところはないと考えていましたが、観音堂旧道のトンネル上の山越えは距離は短かったのですが、下りの急傾斜は細道の上、滑りやすかったので、神経を集中させて降りました。
トンネルを潜れば楽なのですが、できるだけ旧古道をトレースしたいと考えているので、この先の旅でも同じようなことに遭遇しても古道を歩きたいと思います。
また、今回の旅で、甲州市から笛吹市に入る日川橋で、川の名前が「日川」から「笛吹川」に変わりました。
なかなかこの場面に遭遇しないので、今回の旅の記念になりました。
そして、街道も日川橋を渡ったところで左折し、田中旧道を歩く甲州道中を知ることができるなど、とても良い旅ができました。
追記すると、昼に食べた皆吉のほうとうは、機会を作ってまた食べに行きたいと思います。

【次回の予定】

次回(第11回)は12月15日(火)に「酒折駅前交差点から韮崎・本町交差点までの16.17㎞」を旅する予定です。
今年最後の街道旅なので、Mさんと会話を楽しみながら自動車に気を付けて旅をしたいと思います。

【街道旅のご案内】
※《街道旅-1》 旧東海道夫婦二人旅
H24.03.11に日本橋を出発し、H26.01.17に京都・三条大橋に到着するまでの37回のEiさんと認知症のYumiさん(要介護2)夫婦の旧東海道の旅ブログです。
ブログには、旅の途中で楽しんだ番外編(京都嵐山の紅葉、安土城址、神戸ルミナリエなど)や七里の渡し、佐屋街道の旅紀行も掲載しています。
街道ウォーカーの皆さんのお役に立てたら幸いです。
今回の旅は、出発日が東日本大震災と同じ日(1年目)、到着日が阪神淡路大震災と同じ日(19年目)と同じ日と、ともに大震災が発生した日になっていますが、これは意識して震災日に合せたわけではなく到着してから友人に教えられ気が付きました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-tokaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮宿の日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旧奥州街道の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道をあるくため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って歩き、五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 

【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 
https://michinoku-trail.blog.jp/