【天候】 晴れ
【宿場】 (35)蔦木宿⇒(36)金沢宿⇒(37)上諏訪宿
【行程】 歩行距離=16.42㎞ 総距離=205.42㎞
神戸八幡交差点⇒(3.04㎞)⇒金沢宿本陣跡⇒(4.30㎞)⇒国道宮川板室交差点⇒(4.53㎞)⇒大門街道追分⇒(2.51㎞)⇒旧国道合流⇒(2.04㎞)⇒諏訪一丁目交差点
【ルート図】
↓宿場(黒線囲みが第14回旅の宿場)
↓旧甲州道中の旅・進捗状況
(14回の黒線)
↓第14回の旅ルート
(すずらんの里・神戸八幡交差点 ⇒ 上諏訪・諏訪一丁目交差点)
【旧甲州道中の旅】
《序章》
一昨年9月にYumiさんと出発した旧甲州道中旅も最終章に入り、今回の旅(一泊二日)でゴールします。
約500㎞歩いた東海道に比べて半分以下の約200㎞と短いのですが、平坦路を歩く感じが強かった東海道に比べ、平坦路が少なく上ったり下ったりの道が多かったという感じが強く残っています。
甲州道中の到達地である下諏訪は、Yumiさんの母親の里であり、Yumiさんが幼い時から遊んだ町であり、私も結婚する前年から45年間欠かすことなく訪れている地で、私とYumiさんの思い出の地に到達することを楽しみに旅をしたいと思います。
《資料作成》
特養に入所しているYumiさんの所に行って昼食の介助をしたり、孫ちゃんの送迎、趣味の山歩きの他に、3月に立ち上げた「意味性認知症 つくしの会」や介護者家族会などのボランティア活動が続き、4月8日~9日に実施した街道旅の旅紀行ブログが完成しないで5月のGWを迎えました。
GWは娘夫婦と山荘で過ごし、気分を一新して第12回、第13回の旅紀行ブログを完成させ、最終章の旅の準備に取り掛かりました。
今回はUソリューションズが作成した「5街道グーグルマップ」地図を主体に、「ちゃんと歩ける甲州街道」で古道と史跡を調べ、「風の吹くままに」、「甲州街道道中記」などの先人が書き記したHP情報をプラスして史跡などの場所を地図に書き記し、持参する資料の準備を行いました。
《旅の準備》
今回の旅も前月の旅に引き続いて、一泊二日の旅をします。
山の中での泊まりでないため、シャツとズボン以外は着替え一式を持参し、他に髭剃り、携帯及びカメラの充電器、夏用防寒着、地図・資料などをザックに入れ、旅の支度を整えました。
《行程の変更》
旅に出発する前日の28日、ラジオ体操をしている時、「出発する29日の天気は良いが、夜半から翌日(30日)の午前中まで雨が降る確率が高い。ならば明日(29日)は茅野駅前で終了しないで上諏訪駅前まで歩いた方が、翌日に雨が降っても楽になるのではないか」と行程変更のことが頭に思い浮かんできたので、ラジオ体操が終わった時、
E=天気予報を考えると30日は雨の確率が高いので、明日(29日)は上諏訪まで歩きましょうか?
M=私もそうしようと思っていた
とMさんも変更に同意してくれたので、明日は「すずらんの里・神戸八幡交差点から茅野駅前交差点 9.55㎞」を、「すずらんの里・神戸八幡交差点から上諏訪・諏訪一丁目交差点 16.42㎞」
と、6.97㎞多く歩くことにしました。
一方、翌30日は11.86㎞から4.99㎞になり、多少雨が降っても大丈夫な距離になりました。
《移動》
目覚ましの音楽で目覚め、「さあ、街道旅だ」と自分に云い聞かせながらベットを出て洗面、血圧・体重測定、両足のケアの後に旅支度を行い、朝食、トイレを済ませ街道旅のウォーキングシューズを履いて家を出て駐輪場に行くと自転車がありません。
一瞬、「自転車、どうしたんだろう」と、何故自転車がないのか分かりません。
頭の中で自転車がない理由を考えると、Yumiさんの所から帰って来る途中、スーパーに立ち寄り自転車に乗らないで帰ってきたことを思い出し、急いでスーパーの駐輪場に行くと私の自転車が1台置いてありました。
※自転車には、「夜間の駐輪禁止」と記した黄色バンドが取り付けられていました。
置き忘れた自転車に乗りコンビニで行動食のあんぱんを買い、待合せの駅に向かいました。
駅近くの駐輪場に自転車を停め、待合せのホームでMさんと合流し、予定した電車に乗り旅に出発しました。
私とMさんは65才以上のJRジバング会員になっているので、乗車券、特急券をそれぞれ30%割引で購入し、往路は特急を利用しないで、帰りは特急で帰ります。
さて、日曜日の早朝ですが、乗客は多く空いている席が少ない感じでした。
私達は八王子駅で始発の列車に乗り、約2時間40分の長い電車旅で出発地に向かいました。
06時35分、八王子駅発
座席に座り、早起きした寝不足を解消したり、歓談したり、途中の日野春では特急列車の待合せの間にホームに降りて甲斐駒ケ岳の写真を撮ったりして過ごしながら目的地のすずらんの里駅に到着しました。
※甲斐駒ケ岳
すずらんの里駅は立川駅から初めて普通列車で来た記念すべき日になりました。
09時14分、すずらんの里駅着
すずらんの里駅は無人駅のため、乗車券を入れる箱が設置されていましたが、記念に持ち帰らせて頂きました。
駅から約300m歩くと今日の出発地である神戸八幡交差点ですが、交差点の約30m手前の左側に筆塚が建っていました。
09時19分、筆塚(街道からは右側)
そして今日の出発点である神戸八幡交差点に立ち、出発式を行って旅に出発しました。
【=旅=】
09時20分、神戸八幡交差点(出発地)
交差点を真っ直ぐに渡り約20m先の八幡神社に立ち寄りました。
※八幡神社(左側)
八幡神社は創建1200年以上の歴史がある神社で、境内に大きなケヤキ(樹齢約390年)が植生されていました。
※大ケヤキ
大ケヤキはこの他にも目通り6mぐらいのものもありましたが、しめ縄が付けられた木を記録に残しました。
さて、神社を出て再び神戸八幡交差点に戻り、本格的な街道旅に出発しました。
交差点から約100m歩くと道路が緩やかにS字カーブを描いている北桝形跡がありました。
※北桝形
現在は車の往来などがあるため、道路が拡幅され桝形が形を変えていますが、往時はハッキリとした桝形道になっていたでしょう。
桝形道に入ると右側に火の見やぐらがあり、そこから約160m歩くとY字路分岐となり、分岐口に建っている馬頭観音碑を右に見ながら左折して進みます。
09時32分、Y字路分岐(左折)
ここから今日最初の上り坂が始まり、この後アップ・ダウンを繰り返しながら進みました。
Y字路を左折して上り坂を約140m歩くと、右側に馬頭観音群があり、一番左側に近年建てた観音像もありました。
09時34分、馬頭観音群(右側)
馬頭観音群から約70m先の御射山ハイツとみやま工業の間の右側に、片瀬明神跡碑が建っていました。
※片瀬明神跡碑(右側)
跡碑からさらに坂を約130m上りカーブを曲がったところに、往時の姿が残された日本橋から48番目の一里塚がありました。
09時38分、048御射山神戸一里塚(左側=東塚)
※049 御射山神戸一里塚(右側=西塚)
両側の塚及び左側(東塚)のけやきは往時のものが現存されており、ケヤキは樹齢約400年だそうである。
現在は国道が別の場所を通っているので、ここを通る人も少ないですが、電車や自動車の時代になる前の江戸期は、このケヤキの葉陰に腰を下ろし、ゆっくり景色を見渡しながらひと息つく人が多かったのではないかと思います。
一里塚を過ぎて約350m歩くと、左側にエプソン富士見ハウスの看板が建っており、看板から約50m先が上り坂から下り坂の分岐になっていました。
※エプソン富士見ハウス入口
エプソン富士見ハウス入口から先の街道下の斜面中腹に大石があるというので、右側の斜面を注意深く眺めながら約500m坂を下ると、資料に記されていたとおり右側の下り斜面の中腹に、しめ縄が掛けられた大石(白丸線)がありました。
09時53分、ゆるぎ石(右側)
ゆるぎ石から約260m歩くと左側にセイコーエプソン金沢精和荘があり、さらに緩やかな坂を下っていると、右手前方に電車が停まっているJR青柳駅が見えました。
※JR青柳駅(右手前方)
JR青柳駅を眺めながら坂を下ると小さい十字路があり、その先の左側に石塔群がありました(セイコーエプソン精和荘入口から約450m)。
10時03分、石塔群(左側)
石塔群から約240m緩やかな坂を下るとR20に合流し、下り坂が終わり左折して平坦路を進みます。
10時07分、R20分岐合流(左折)
R20を約550m歩くと、左側に日本橋から187㎞の距離標が建っていました。
※187㎞距離標(左側)
距離標から約10m先に金沢交差点があり、交差点を渡った左側に金沢宿本陣跡のパネルが建てられていました。
10時14分、金沢宿本陣跡(左側)
本陣跡には、長野県の縣碑、明治天皇が昼食を食べた御在所跡碑、道路元標が同じところに建てられていました。
※長野縣碑
※明治天皇御在所跡碑(長野縣碑と同じ石碑の側面)
※道路元標
金沢交差点から約30m先の郵便局手前左側に、江戸時代の茶屋・近江屋跡がありました。
10時19分、茶屋・近江屋跡(左側)
玄関に表札が掛けられていますが、誰も住んでいないようです。
玄関には木はな彫刻が施されているので、彫刻を保存するなり、石碑などを建てて往時を偲ぶことができるようになれば良いと思います。
※木はな彫刻の玄関
茶屋跡隣りの郵便局、さして理容ナカノの先隣りに、旧旅籠・松坂屋があり、木製の看板掛け(白丸印)が残っていました。
10時21分、旧旅籠・松坂屋(左側)
※看板掛け
旧松坂屋跡から約140m歩くと、右側に旧馬方宿だった小林宅があり、道路脇の大きな石の脇に馬つなぎ石が置いてありました。
10時24分、馬つなぎ石(右側)
小林宅から約80m歩くと、左に入る小路の角(右側の藤森クリニーング店を過ぎた左側)に四角柱の秋葉常夜燈が建っていました。
10時26分、四角柱の秋葉常夜燈(左側)
四角柱の秋葉常夜燈も珍しいのですが、常夜燈が電球?というのは昭和期に出来たものなのでしょうか?
この辺りは道路に白線を引いて歩道と区分しているのですが、車の運転手は人が歩いていることを想定していないようで、見通しの悪いカーブをスピードを出して走ってくるので、危険そのものでここを歩く時は左側を歩くことをお奨めします。
※危険地帯(カーブで車が目の前に現れる感じ)
四角柱秋葉常夜燈から約170m歩くと江戸期から橋が架けられていた金沢橋があり、橋の手前右側に石仏石塔群がありました。
10時33分、石仏石塔群(右側)
※金沢橋
金沢橋を渡ったところで右折し、さらに約25mで左折する桝形道になってます。
※桝形道
街道はさらに約40m歩くとY字路分岐となり左に進むのですが、往時はY字路ではなく桝形道になっていたと思います。
※Y字路分岐(左折)
Y字路分岐を左折して約80m歩くと、矢の口交差点があり交差点を真っ直ぐに渡ります。
10時38分、矢の口交差点(直進)
矢の口交差点を渡ると権現の森があり、石鳥居を潜って中に入ると、小さい石の祠が祀られていました。
10時39分、権現の森(右側)
※本宮
権現の森の斜め前のバス停(矢の口)のところから古道があると云うので、記されているR20を直進することを止め、古道に入りました。
10時41分、Y字路分岐(左折)
分岐から約300m歩くとT字路となり、左折して直ぐに右折する桝形(クランク形)に進みます。
※T字路分岐(左折⇒右折)
T字路から約400m歩くとまたT字路となり、左折します。
10時50分、T字路分岐(左折)
バス停矢の口をそのままR20を歩くと、約300mのところの左側にフジカ食堂があり、さらに約450m先のバス停(清水橋)のところが下の写真で、大池一里塚を見に行く時はこの場所を左折し、約30m歩くとT字路分岐があります。
なお、途中のコンビニ(セブンイレブン)は看板が取り外されていました。
※大池一里塚に行く時の分岐
T字路分岐から約60m歩くと宮川に架かる万年橋があり、橋を渡ると右側にピンク色のモーテルがあり、それを横目に約80m進むとモテールに沿って右折する道があり、右折します。
10時51分、万年橋
※分岐(右折)
右折して約70m歩くと小さい十字路があり、右折します。
※十字路分岐(右折)
農道の十字路を右折して約180m歩くと右側こんもりした林があり、その外れの一段高いところに日本橋から49番目の一里塚跡碑が建っていました。
10時55分、049大池一里塚跡碑(右側)
一里塚跡を確認し、歩いてきた道を戻らずにそのまま前進しました。
宮川の土手道は舗装路より足に優しい草の生えているので、とても歩き易い道です。
地図に記された街道は宮川を挟んだ対岸にあり、白いガードレールのところです。
※一里塚立ち寄り道
一里塚跡から約350m進むと宮川の支流を渡る道があり、橋を渡ったところを右折して進みます。
※農道分岐(右折)
農道分岐から約150m歩くと十字路があり、右折して宮川に架かる木舟大橋を渡り、約100m歩くと木舟交差点に着きました。
※分岐(右折)
11時06分、木舟交差点(左折)
木舟交差点を左折して約100m歩くと、右側に地蔵立像がありました。
11時08分、地蔵立像(右側)
地蔵立像が建っている道はJR中央本線を潜れるようになっており、道を跨ぐように火の見やぐらが建っていました。
※道を跨ぐ火の見やぐら
R20を歩きながら左手の木々に覆われた山を見ていると、崩落したように山肌が剥きだしの状態になっているところがあり、周囲にマッチしない異様な景色を記録に残しました。
※異様な景色
地蔵立像から約350m歩くと右側にカーエンジニアオートヴァリエーションがあり、店舗の手前に右にヘアピンカーブで入る道があり、入り口のコンリリート壁に旧甲州街道の地図が貼られていました。
11時13分、分岐(右折)
この地図は聞きに立ち寄る人が多かったのか、店舗の人の善意で貼り出されたものだと思いますが、街道ウォーカーにとっては嬉しい親切です。
※分岐に貼られた地図
ヘアピンカーブの分岐を右折して約40m坂道を上ると、右側に木製鳥居と祀られた大石がありました。
11時14分、木製鳥居と大石(右側)
さらに約40m坂を上ると、JR中央本線を跨ぐ陸橋があり記録に残しましたが、タイミング悪くこの5分後に特急列車が走るなど、列車が入った写真は撮れませんでした。
11時15分、甲府方面の眺め(右側)
※諏訪方面の眺め(左側)
陸橋を渡り約10m先の分岐を左折します。
※分岐(左折)
分岐から約130m歩くと宮川に架かる宮沢橋があり、小さな橋を渡って進みます。
11時17分、宮沢橋
宮沢橋から約140m歩くと頭上にのぞみ大橋が架かっており、その下を潜って進みます。
※のぞみ大橋
のぞみ大橋を潜り約260m歩くと、宮川に流れ込む小早川に架かる小早川橋があり、渡ります。
11時23分、小早川橋
小早川橋を渡り約400m歩くと、左側に念仏碑と馬頭観音がありました。
11時29分、念仏碑・馬頭観音(左側)
念仏碑から約50m歩くと、宮川に流れ込む早川に架かる早川橋があり、橋を渡ります。
11時31分、早川橋
橋を渡ると直ぐに変則十字路があり、左折します。
※変則十字路分岐(左折)
分岐から約280m進むとJRの下を潜るガードあり、車が途切れるのを待って潜りました。
11時35分、JRガードを潜る
ガードは車1台しか通れないため、カーブミラーを見て、左右の途切れる毎に交互通行していました。
ガードを潜り約400m歩くと、県道197号線の宮川板室交差点に出ました。
11時40分、宮川板室交差点(右折)
交差点の右角に常夜燈や二十三夜塔などの石塔群がありました。
※常夜燈と石塔群(右側)
宮川板室交差点から約40m進むと弓張川に架かる建倉橋があり、橋渡りました。
11時41分、建倉橋
建倉橋を渡り約80m歩くと板室交差点があり、交差点を右折して酒室神社に立ち寄りました。
11時44分、酒室神社・鳥居(右側)
神社の本殿ですが、東海道と甲州道中を歩いた中で数多くの神社を見てきましたが、お賽銭箱が白囲みのところにあるのを見たのは初めてです。
※本殿とお賽銭箱
また、神社の境内右側に、雨降り塚が建っていました。
※雨降り塚
酒室神社を出て街道に戻り、板室交差点から約290m歩いた茅野市清掃協会の近くから左手前方に、冠雪が残る北アルプスの山々が見えました。
写真は望遠にしたのでぼやけていますが、肉眼でははっきりと眺めることができました。
※冠雪が残る北アルプスの山々
県道197号を進むと中央高速の橋桁の下を潜り、約180m歩くと右側に三山神社入口と記された道標パネルが建っており、Uターンするように上っていく階段がありました。
資料ではここが古道のようで、古道を進みました(グーグル地図では道は途切れていている)。
11時59分、分岐(右折=三山神社入口)
階段をカーブしながら上ると、右側の斜面に石仏石塔群がありました。
※石仏石塔群(右側)
草が生えている道を道なりに上って行くと、右の方からの道と合流しました。
※分岐合流
※古道
線路沿いに進める道もありましたが、広い道をそのまま真っ直ぐに進みました。
※分岐(左)
分岐から約50m進むと、左側に男女双体道祖神が複数体祀られていました。
12時04分、男女双体道祖神(左側)
日本橋から50番目の茅野一里塚跡は、県道197号に合流する手前にあると資料に記されていたのでMさんと二人で探しましたが、見付かりませんでした。
※050茅野一里塚跡付近(右側)
県道197号と合流して右折し約110m歩くと、宮川交差点があり、真っ直ぐ渡ってY字路分岐を右に進みます。
12時10分、宮川交差点(Y字路分岐右側)
宮川交差点から約190m歩くと、左側に1.三輪神社が、2.おかめ神社、3.宮川寒天蔵跡があり、順番に見学しました。
12時13分、三輪神社・本殿(左側)
※本殿の彫刻
12時14分、おかめ神社(左側)
12時15分、宮川寒天蔵跡(左側)
宮川寒天蔵の先隣りに明治天皇小休止した所があり、跡碑が建っていました。
12時16分、明治天皇御小休所跡(左側)
そして跡碑の建っている道路を挟んだ真向いに案内看板が建っていました。
旧街道は丸井伊藤商店の先で道路工事が行われ、数か月先には新しい道に合流するようになります。
※新たな道路に合流する
案内看板から約290m歩くと、上社御柱が横切る交差点の先に上川に架かる親柱がブロック石の上川橋がありました。
12時20分、上川橋
橋を渡りながら右手後方を眺めると、上社御柱祭りの時に御柱を滑り落とす「木落とし坂」と後方に八ヶ岳連峰が見えました。
※木落とし坂・八ヶ岳連峰(右側)
上川橋を渡り、約50m先の茅野交差点を通り過ぎ、さらに約100m歩くと茅野駅南交差点があり、交差点を右折して昼食を食べに行きました。
12時24分、茅野駅南交差点(分岐・右折)
昼食は茅野駅近くの更科蕎麦店に入りました。
この店は私の母親が好きな店で、何回か一緒に食べたことがあり、食べに入るのはしばらく振りです。
今の店舗は駅前整備で新しく建て替えられており、以前の店舗は道路真向い(踏切の近く)に建っていました。
12時25分~13時02分、昼食(更科そば)
店内は昼食時で混雑しており、相席で座らせて頂き、ボリューム満点というお品書きにつられて三段重の三重(みかさね)蕎麦(@1,250円)を注文しました。
※三重(みかさね)そば
蕎麦は大根おろし、なめこ汁、とろろと三種のつけ汁がついており、お品書きとおり大盛りそばを食べた感じがしました。
昼食でひと休みし、気分も新たにそば店を出て街道の茅野駅南交差点に戻り再出発しました。
再出発して約150m歩くと茅野駅に入る入口がありました。
山荘に来た時など、何十回となく車で通っているところを歩いて通るのは、車では見落としている新たな発見がある一方、何となく違和感を持って通り過ぎました。
13時04分、茅野駅入口(右折=茅野駅)
茅野駅入口から約70m歩くと茅野駅前交差点があり、左側に諏訪神社(上社)の大鳥居が建っていました。
13時06分、諏訪神社(上社)大鳥居(左側)
茅野駅前交差点を真っ直ぐに通り過ぎ約80m歩くと三差路となり、一番左側の道を進みました。
13時07分、三叉路分岐(左側)
Uソリューションズの地図は真ん中の道になっていましたが、「ちゃんと歩ける甲州街道」の道を選択して歩きました。
三差路分岐から約550m歩くと上原交差点があり、真っ直ぐに進みました。
13時17分、上原交差点(直進)
上原交差点を真っ直ぐに渡り約350m歩くと上原八幡交差点があり、左角に八幡神社があり立ち寄りました。
13時20分、八幡神社・鳥居(左側)
木製の鳥居に藁がぶら下がっている珍しい神社で、本殿は質素な祠でした。
※八幡神社・本殿
※八幡神社の由来碑(左側=神社入口)
本殿裏手に男女双体の道祖神が祀られていました。
※男女双体道祖神(本殿裏手)
神社を出て交差点を渡り約350m先の十字路右角に、鍛冶小路標石が建っていました。
13時27分、鍛冶小路標石(右側)
鍛冶小路から約190m歩くと変則な十字路があり、新井入口バス停の左側のブロックの上に、塔所小路の標石が建っていました。
13時30分、塔所小路標石(右側)
塔所小路を約5分進むと諏訪氏の館跡があるとのことでしたが、Mさんに聞くと行く意思がなかったので、立ち寄りませんでした。
そして新井バス停の裏手の男女双体の道祖神を記録して先に進みました。
※男女双体道祖神(右側)
塔所小路から約140歩くと上原北交差点があり、左側角に片羽通り標石、道路真向いの右側角に播磨小路標石がそれぞれ建っていました。
13時33分、片羽通り標石(左側)
※播磨小路標石(右側)
上原北交差点から約200m先の上原頼岳寺交差点の左側に、番匠川通りの標石が建っていました。
13時36分、番匠川通り標石(左側)
番匠川通り標石から約90m歩くと右側にスバルショップがあり、スバルショップの終わりに郵便局の案内看板が立っています。
街道はR20から別れて右折します。
13時39分、分岐(右折)
旧甲州道中はJRのガードを潜り、坂を上って進みます。
ガードを潜り左にカーブしながら約180m坂を上ると、分岐合流となり、分岐口に大門追分道標と常夜燈が建っていました。
13時42分、大門追分道標・常夜燈(右側)
分岐・合流したところから約70m歩くと、右側の溝口宅の入口に甲州道中碑が建っていました。
13時44分、甲州道中碑(右側)
道中碑から約110m歩くと、左側に温泉マーク入りのタンクが建っており、温泉が汲めるようになっていました。
13時46分、温泉タンク(左側)
13時47分~12時49分、休憩・衣服調整
この辺りになって来ると長袖シャツでは暑くなり、水分補給の休憩を兼ねて長袖シャツを脱ぎ半袖のTシャツで歩くことにしました。
温泉タンクのある少し涼しいところでの休憩を終え約100m歩くと、右側に石碑と常夜燈が建っていました。
13時50分、石碑と常夜燈(右側)
石碑と常夜燈から約110m歩くと、左側に神戸公民館があり、道路反対側のその真向いに先ほどの温泉タンクより動力のありそうな温泉タンクがありました。
13時52分、神戸公民館(左側)
※温泉タンク(右側)
神戸公民館から約30m先に小路の十字路があり、十字路を右折して約10m歩くと石垣の下に秋葉山常夜燈と男女双体道祖神が祀られていました。
13時53分、秋葉山常夜燈&男女双体道祖神(右側)
街道の十字路に戻り約70m歩くと左側に後ろから見る神ノ木人事やがありました。
13時55分、神ノ木神社(左側)
神社の裏手から境内に入るということはありますが、この神社の変わっているところは、鳥居の前は段差になっていているため、鳥居の前から入れるスペースは1mくらいしかありません。
そのため、神社に参拝するには神社の裏手から入る以外になく、参道が裏手しかない神社はとても珍しいと思います。
※正面からの神ノ木神社
神ノ木神社から約140m歩くと、左側に日本橋から51番目の一里塚があり、跡碑とパネルが建っていました。
13時59分、051四賀神戸一里塚跡(左側)
一里塚跡から約260m歩くと、鐘が吊り下がった梯子形の半鐘の横に、上部が壊れた常夜燈と石碑が建っていました。
14時02分、梯子形の半鐘と常夜燈・石碑
※常夜燈と石碑
半鐘の右横に立っている常夜燈から約160m歩くとY字路があるような十字路があり、左角に秋葉山常夜燈と道標が建っていました。
※Y字路があるような十字路(直進)
上の写真のように進んでくると、左側のゴミ入れBOXの先隣りに建っている。
14時08分、秋葉山常夜燈&道標(左側)
秋葉山常夜燈から約650m歩くと霧ヶ峰入口交差点となり、交差点の手前約50mのところから右側の小高い山を見ると、中腹に桑原城跡の看板が建てられていました。
※桑原城跡(右側)
霧ヶ峰入口交差点を通り過ぎ約120m歩くと、足長神社に上る参道階段があり、見ただけでパスさせて頂きました。
14時16分、足長神社・参道(右側)
参道入口から約140m歩くと右に上って行く道の角に燈部が欠け落ちた常夜燈と男女双体の道祖神がありました。
14時18分、常夜燈(燈部なし)と男女双体道祖神(右側)
さらに約180m歩くと、右側に同じように燈部がない常夜燈と2基の男女双体道祖神が建っていました。
14時21分、常夜燈(燈部なし)と2基の男女双体道祖神(右側)
燈部のない常夜燈と2基の道祖神から約230m歩くと、市内循環バスの岩窪観音前バス停があり、その付近に石仏石塔群がありました。
14時23分、石仏石塔群(右側)
岩窪観音前バス停から約240m歩くと分岐・合流し、右折して進みます。
14時27分、分岐・合流(右折)
分岐・合流して約80m歩くと、右側に細武温泉共同浴場がありました。
今日は定期清掃日でお休みでしたが、私もYumiさんの母親の実家に行った時は、温泉の共同浴場に行っていたので、場所は違いますが懐かしく思い出されました。
14時28分、細武温泉共同浴場(右側)
温泉浴場から約100m歩くと、右側に武津公民館があり、公民館の入口脇に祝言道祖神が祀られていました。
14時30分、祝言道祖神(右側)
武津公民館前から約400m歩くと、R20に分岐・合流するため、その前に水分補給して「もうひと踏ん張り」と気持ちを引き締めて再出発しました。
14時38分、分岐・合流(右折)
R20を約190m歩くと古道があるというので、横断歩道で街道の右側から左側に渡り、ガードフェンスの間から階段を降りました。
14時40分、古道入口(左側)
※古道①
※古道②
古道は約140mという短いのですが、何処を歩いても往時の道を想像させてくれます。
そして、古道の終点は清水1・2丁目交差点です。
14時42分、清水1・2丁目交差点
交差点を左側から右側に渡った約10m先に高島城の殿様や明治天皇が飲まれた(御膳水)大清水があり、立ち寄りました。
14時43分、大清水(右側)
大清水から交差点に戻り、約90m歩くと左側にかねさ呉服店がありました。
14時45分、かねさ呉服店(左側)
かねさ呉服店の道路挟んで真向いに江戸期に創業した染一染物店があり、歴史を感じさせる看板が掲げられていました。
14時45分、染一染物店(右側)
かねさ呉服店から約120m歩くと、日本橋から199㎞の距離標が建っていました。
14時47分。199㎞距離標
距離標から約120m歩くと元町交差点があり、左側に清酒真澄で全国的に有名な宮坂醸造がありました。
14時49分、宮坂醸造(左側)
また、元町交差点は変則四差路になっており、旧甲州街道と斜め右方向に行く道の分岐点に、十王堂跡碑が建っていました。
14時51分、十王堂跡(右側)
十王堂跡碑のある元町交差点を歩道左側に渡り約60m歩くと、角間川に架かる角間橋を渡ります。
14時53分、角間橋
角間橋から約170m歩くと、左側に日本画家の伊東深水の絵が保存されている伊東近代美術館がありました。
14時56分、伊東近代美術館(左側)
伊東深水は俳優の津川雅彦の妻で、女優・タレント・歌手の朝丘雪路の実父です。
美術館は当初ここから約3.6㎞先の下諏訪の高木というところにあり、現在は下諏訪町立諏訪湖博物館(島木)赤彦記念館になっています。
伊東近代美術館から道路を隔てた隣りに、伊東酒造がありました。
14時56分、伊東酒造(左側)
酒造の主要製品である清酒「横笛」は、平家物語の登場人物である建礼門院の雑仕女・横笛の悲恋物語からきているそうです。
そして、伊東酒造の道路真向いに、3つ目の酒蔵である酒ぬのや本金酒造がありました。
14時57分、本金酒造(右側)
本金酒造は製造量100石のごく少量に魂を吹き込んでおり、「本当の一番(金)の酒を醸す」「(左右対称で)裏表のない商売」を追及している店で、本金やからくち太一の銘柄で販売されている。
日本酒党の方は、一度は吟味してほしいお酒と思います。
本金酒造を過ぎると鍵之手交差点があり、ここが桝形道の跡です。
14時58分、旧桝形道(鍵之手交差点)
鍵之手交差点を真っ直ぐに渡って約30m歩くと、右側に連子格子の建物に麗人ののれんが掛かっている麗人酒造があり立ち寄りました。
14時59分、麗人酒造(右側)
店内に入り試飲ができるというので、純米吟醸原酒と大吟醸原酒の2種を試飲させて頂きました。
2種とも冷蔵されていたということもありますが、冷たく咽喉にピリッとする辛口の酒で、このまま座って飲みたくなりました。
家では日本酒を飲むことがないので、いつも酒造の前は通り過ぎていましたが、今度通る時は立ち寄って買い求めたいと思います。
※麗人酒造の店内
麗人酒造から約60m歩くと、扇屋呉服店の先隣りに白い蔵構えの今日5つ目の酒蔵である舞姫(旧舞姫酒造)がありました。
15時04分、酒蔵・舞姫(右側)
さあ、今日の旅もあと3つの交差点終りです。
舞姫から諏訪2丁目交差点、諏訪1・2丁目交差点を通り過ぎ、約400m歩くと今日の到着地である「諏訪1丁目」交差点に到着しました。
15時10分、諏訪1丁目交差点(到着地)
交差点の角で恒例の到着式を行い、第14回目の旅を終えました。
旧甲州道中の最後の旅となる明日は、諏訪1丁目交差点を右折するところから始まります。
さて、旅を終えた後、到着地の交差点を真向い(旧まるまつ百貨店で現在再開発中)に渡った処に虫湯跡があるというので、史蹟に立ち寄って記録に残しました。
15時12分、虫湯跡(左側)
【移動】
諏訪一丁目交差点から宿泊予約している「民宿すわ湖」に行くため、交差点からJR踏切に向かって約30m歩くと、左側に明治天皇行在所址碑と柳口御役所跡がありました。
15時14分、明治天皇行在所跡(左側)
※高島城柳口御役所跡(左側)
今日は諏訪一丁目交差点で旅を終え、宿泊場所に向かう途中で史跡の横を通ったので分かりましたが、そのまま交差点を右折して旧街道を歩いていたら史蹟のある場所を見つけられず、記録に残すことはできなかったと思うと幸運でした。
上諏訪駅手前の踏切を渡ると右側の公園でバンド演奏されており、それを横目で見ながら通り過ぎ、宿泊予約している民宿すわ湖に着きました。
【宿泊】
15時24分、民宿すわ湖着
宿に到着し、中に入ると直ぐにご主人が出てこられ迎え入れられました。
ご主人から、食事の時間、場所、部屋に案内される途中で入浴場所を教えられながら部屋に入りました。
部屋は5人用のようで、布団が3組押入れに残っており、広々としておりゆっくり休めそうです。
直ぐに汗を流そうと露天風呂に行くと、温泉の成分表が掲げられていて初めて風呂が温泉ということが分かりました。
※諏訪地方は温泉が出ており、温泉浴場が沢山あることを忘れていました。
露天風呂にゆっくりと浸り、今日の汗を流し、さっぱりと気分転換することができました。
《夕食》
部屋にもどりザックの荷造りや明日の支度を整え、夕食の18時30分頃まで横になりながらTVを見て過ごしました。
18時30分、夕食
2階の食堂に行くと、各部屋ごとに食事の準備がされていました。
※これは最初の配膳で、この後天ぷら、茶碗蒸しなどが配膳されました。
そして、ここで初めて今日の宿泊状況が分かったのですが、日曜日というのに8~9人が宿泊するので、「結構利用者がいるんだ」と認識させられました。
※名前は民宿となっていますが、普通の旅館と同じですが、御柱祭りが終わった直後の日曜日の宿泊のため我々くらいかなと思っていたので、ご主人には申し訳ございませんが、想定以上の人が泊まるので驚きました。
瓶ビールを注文しMさんと乾杯となりましたが、ほとんど飲めないMさんはコップに少し注いで乾杯しました。
配膳された料理は豪華さは有りませんが、値段以上に感じるもてなしで、私は1本では足りず2本目を注文し咽喉を潤すとともに、旅の疲れを癒しました。
20時30分頃までのんびりと食事を摂り、Mさんと歓談の時間を楽しみ部屋に戻りました。
明日は雨模様のため、朝7時に朝食を食べ、昼前には雨が止むとの予報から少しでも遅くに出発しようと、10時前に旅館を出発することになりました。
【街道旅のご案内】
※《街道旅-1》 旧東海道夫婦二人旅
H24.03.11に日本橋を出発し、H26.01.17に京都・三条大橋に到着するまでの37回のEiさんと認知症のYumiさん(要介護2)夫婦の旧東海道の旅ブログです。
ブログには、旅の途中で楽しんだ番外編(京都嵐山の紅葉、安土城址、神戸ルミナリエなど)や七里の渡し、佐屋街道の旅紀行も掲載しています。
街道ウォーカーの皆さんのお役に立てたら幸いです。
今回の旅は、出発日が東日本大震災と同じ日(1年目)、到着日が阪神淡路大震災と同じ日(19年目)と同じ日と、ともに大震災が発生した日になっていますが、これは意識して震災日に合せたわけではなく到着してから友人に教えられ気が付きました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-tokaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮宿の日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旧奥州街道の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道をあるくため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って歩き、五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/
【宿場】 (35)蔦木宿⇒(36)金沢宿⇒(37)上諏訪宿
【行程】 歩行距離=16.42㎞ 総距離=205.42㎞
神戸八幡交差点⇒(3.04㎞)⇒金沢宿本陣跡⇒(4.30㎞)⇒国道宮川板室交差点⇒(4.53㎞)⇒大門街道追分⇒(2.51㎞)⇒旧国道合流⇒(2.04㎞)⇒諏訪一丁目交差点
【ルート図】
↓宿場(黒線囲みが第14回旅の宿場)
↓旧甲州道中の旅・進捗状況
(14回の黒線)
↓第14回の旅ルート
(すずらんの里・神戸八幡交差点 ⇒ 上諏訪・諏訪一丁目交差点)
【旧甲州道中の旅】
《序章》
一昨年9月にYumiさんと出発した旧甲州道中旅も最終章に入り、今回の旅(一泊二日)でゴールします。
約500㎞歩いた東海道に比べて半分以下の約200㎞と短いのですが、平坦路を歩く感じが強かった東海道に比べ、平坦路が少なく上ったり下ったりの道が多かったという感じが強く残っています。
甲州道中の到達地である下諏訪は、Yumiさんの母親の里であり、Yumiさんが幼い時から遊んだ町であり、私も結婚する前年から45年間欠かすことなく訪れている地で、私とYumiさんの思い出の地に到達することを楽しみに旅をしたいと思います。
《資料作成》
特養に入所しているYumiさんの所に行って昼食の介助をしたり、孫ちゃんの送迎、趣味の山歩きの他に、3月に立ち上げた「意味性認知症 つくしの会」や介護者家族会などのボランティア活動が続き、4月8日~9日に実施した街道旅の旅紀行ブログが完成しないで5月のGWを迎えました。
GWは娘夫婦と山荘で過ごし、気分を一新して第12回、第13回の旅紀行ブログを完成させ、最終章の旅の準備に取り掛かりました。
今回はUソリューションズが作成した「5街道グーグルマップ」地図を主体に、「ちゃんと歩ける甲州街道」で古道と史跡を調べ、「風の吹くままに」、「甲州街道道中記」などの先人が書き記したHP情報をプラスして史跡などの場所を地図に書き記し、持参する資料の準備を行いました。
《旅の準備》
今回の旅も前月の旅に引き続いて、一泊二日の旅をします。
山の中での泊まりでないため、シャツとズボン以外は着替え一式を持参し、他に髭剃り、携帯及びカメラの充電器、夏用防寒着、地図・資料などをザックに入れ、旅の支度を整えました。
《行程の変更》
旅に出発する前日の28日、ラジオ体操をしている時、「出発する29日の天気は良いが、夜半から翌日(30日)の午前中まで雨が降る確率が高い。ならば明日(29日)は茅野駅前で終了しないで上諏訪駅前まで歩いた方が、翌日に雨が降っても楽になるのではないか」と行程変更のことが頭に思い浮かんできたので、ラジオ体操が終わった時、
E=天気予報を考えると30日は雨の確率が高いので、明日(29日)は上諏訪まで歩きましょうか?
M=私もそうしようと思っていた
とMさんも変更に同意してくれたので、明日は「すずらんの里・神戸八幡交差点から茅野駅前交差点 9.55㎞」を、「すずらんの里・神戸八幡交差点から上諏訪・諏訪一丁目交差点 16.42㎞」
と、6.97㎞多く歩くことにしました。
一方、翌30日は11.86㎞から4.99㎞になり、多少雨が降っても大丈夫な距離になりました。
《移動》
目覚ましの音楽で目覚め、「さあ、街道旅だ」と自分に云い聞かせながらベットを出て洗面、血圧・体重測定、両足のケアの後に旅支度を行い、朝食、トイレを済ませ街道旅のウォーキングシューズを履いて家を出て駐輪場に行くと自転車がありません。
一瞬、「自転車、どうしたんだろう」と、何故自転車がないのか分かりません。
頭の中で自転車がない理由を考えると、Yumiさんの所から帰って来る途中、スーパーに立ち寄り自転車に乗らないで帰ってきたことを思い出し、急いでスーパーの駐輪場に行くと私の自転車が1台置いてありました。
※自転車には、「夜間の駐輪禁止」と記した黄色バンドが取り付けられていました。
置き忘れた自転車に乗りコンビニで行動食のあんぱんを買い、待合せの駅に向かいました。
駅近くの駐輪場に自転車を停め、待合せのホームでMさんと合流し、予定した電車に乗り旅に出発しました。
私とMさんは65才以上のJRジバング会員になっているので、乗車券、特急券をそれぞれ30%割引で購入し、往路は特急を利用しないで、帰りは特急で帰ります。
さて、日曜日の早朝ですが、乗客は多く空いている席が少ない感じでした。
私達は八王子駅で始発の列車に乗り、約2時間40分の長い電車旅で出発地に向かいました。
06時35分、八王子駅発
座席に座り、早起きした寝不足を解消したり、歓談したり、途中の日野春では特急列車の待合せの間にホームに降りて甲斐駒ケ岳の写真を撮ったりして過ごしながら目的地のすずらんの里駅に到着しました。
※甲斐駒ケ岳
すずらんの里駅は立川駅から初めて普通列車で来た記念すべき日になりました。
09時14分、すずらんの里駅着
すずらんの里駅は無人駅のため、乗車券を入れる箱が設置されていましたが、記念に持ち帰らせて頂きました。
駅から約300m歩くと今日の出発地である神戸八幡交差点ですが、交差点の約30m手前の左側に筆塚が建っていました。
09時19分、筆塚(街道からは右側)
そして今日の出発点である神戸八幡交差点に立ち、出発式を行って旅に出発しました。
【=旅=】
09時20分、神戸八幡交差点(出発地)
交差点を真っ直ぐに渡り約20m先の八幡神社に立ち寄りました。
※八幡神社(左側)
八幡神社は創建1200年以上の歴史がある神社で、境内に大きなケヤキ(樹齢約390年)が植生されていました。
※大ケヤキ
大ケヤキはこの他にも目通り6mぐらいのものもありましたが、しめ縄が付けられた木を記録に残しました。
さて、神社を出て再び神戸八幡交差点に戻り、本格的な街道旅に出発しました。
交差点から約100m歩くと道路が緩やかにS字カーブを描いている北桝形跡がありました。
※北桝形
現在は車の往来などがあるため、道路が拡幅され桝形が形を変えていますが、往時はハッキリとした桝形道になっていたでしょう。
桝形道に入ると右側に火の見やぐらがあり、そこから約160m歩くとY字路分岐となり、分岐口に建っている馬頭観音碑を右に見ながら左折して進みます。
09時32分、Y字路分岐(左折)
ここから今日最初の上り坂が始まり、この後アップ・ダウンを繰り返しながら進みました。
Y字路を左折して上り坂を約140m歩くと、右側に馬頭観音群があり、一番左側に近年建てた観音像もありました。
09時34分、馬頭観音群(右側)
馬頭観音群から約70m先の御射山ハイツとみやま工業の間の右側に、片瀬明神跡碑が建っていました。
※片瀬明神跡碑(右側)
跡碑からさらに坂を約130m上りカーブを曲がったところに、往時の姿が残された日本橋から48番目の一里塚がありました。
09時38分、048御射山神戸一里塚(左側=東塚)
※049 御射山神戸一里塚(右側=西塚)
両側の塚及び左側(東塚)のけやきは往時のものが現存されており、ケヤキは樹齢約400年だそうである。
現在は国道が別の場所を通っているので、ここを通る人も少ないですが、電車や自動車の時代になる前の江戸期は、このケヤキの葉陰に腰を下ろし、ゆっくり景色を見渡しながらひと息つく人が多かったのではないかと思います。
一里塚を過ぎて約350m歩くと、左側にエプソン富士見ハウスの看板が建っており、看板から約50m先が上り坂から下り坂の分岐になっていました。
※エプソン富士見ハウス入口
エプソン富士見ハウス入口から先の街道下の斜面中腹に大石があるというので、右側の斜面を注意深く眺めながら約500m坂を下ると、資料に記されていたとおり右側の下り斜面の中腹に、しめ縄が掛けられた大石(白丸線)がありました。
09時53分、ゆるぎ石(右側)
ゆるぎ石から約260m歩くと左側にセイコーエプソン金沢精和荘があり、さらに緩やかな坂を下っていると、右手前方に電車が停まっているJR青柳駅が見えました。
※JR青柳駅(右手前方)
JR青柳駅を眺めながら坂を下ると小さい十字路があり、その先の左側に石塔群がありました(セイコーエプソン精和荘入口から約450m)。
10時03分、石塔群(左側)
石塔群から約240m緩やかな坂を下るとR20に合流し、下り坂が終わり左折して平坦路を進みます。
10時07分、R20分岐合流(左折)
R20を約550m歩くと、左側に日本橋から187㎞の距離標が建っていました。
※187㎞距離標(左側)
距離標から約10m先に金沢交差点があり、交差点を渡った左側に金沢宿本陣跡のパネルが建てられていました。
10時14分、金沢宿本陣跡(左側)
本陣跡には、長野県の縣碑、明治天皇が昼食を食べた御在所跡碑、道路元標が同じところに建てられていました。
※長野縣碑
※明治天皇御在所跡碑(長野縣碑と同じ石碑の側面)
※道路元標
金沢交差点から約30m先の郵便局手前左側に、江戸時代の茶屋・近江屋跡がありました。
10時19分、茶屋・近江屋跡(左側)
玄関に表札が掛けられていますが、誰も住んでいないようです。
玄関には木はな彫刻が施されているので、彫刻を保存するなり、石碑などを建てて往時を偲ぶことができるようになれば良いと思います。
※木はな彫刻の玄関
茶屋跡隣りの郵便局、さして理容ナカノの先隣りに、旧旅籠・松坂屋があり、木製の看板掛け(白丸印)が残っていました。
10時21分、旧旅籠・松坂屋(左側)
※看板掛け
旧松坂屋跡から約140m歩くと、右側に旧馬方宿だった小林宅があり、道路脇の大きな石の脇に馬つなぎ石が置いてありました。
10時24分、馬つなぎ石(右側)
小林宅から約80m歩くと、左に入る小路の角(右側の藤森クリニーング店を過ぎた左側)に四角柱の秋葉常夜燈が建っていました。
10時26分、四角柱の秋葉常夜燈(左側)
四角柱の秋葉常夜燈も珍しいのですが、常夜燈が電球?というのは昭和期に出来たものなのでしょうか?
この辺りは道路に白線を引いて歩道と区分しているのですが、車の運転手は人が歩いていることを想定していないようで、見通しの悪いカーブをスピードを出して走ってくるので、危険そのものでここを歩く時は左側を歩くことをお奨めします。
※危険地帯(カーブで車が目の前に現れる感じ)
四角柱秋葉常夜燈から約170m歩くと江戸期から橋が架けられていた金沢橋があり、橋の手前右側に石仏石塔群がありました。
10時33分、石仏石塔群(右側)
※金沢橋
金沢橋を渡ったところで右折し、さらに約25mで左折する桝形道になってます。
※桝形道
街道はさらに約40m歩くとY字路分岐となり左に進むのですが、往時はY字路ではなく桝形道になっていたと思います。
※Y字路分岐(左折)
Y字路分岐を左折して約80m歩くと、矢の口交差点があり交差点を真っ直ぐに渡ります。
10時38分、矢の口交差点(直進)
矢の口交差点を渡ると権現の森があり、石鳥居を潜って中に入ると、小さい石の祠が祀られていました。
10時39分、権現の森(右側)
※本宮
権現の森の斜め前のバス停(矢の口)のところから古道があると云うので、記されているR20を直進することを止め、古道に入りました。
10時41分、Y字路分岐(左折)
分岐から約300m歩くとT字路となり、左折して直ぐに右折する桝形(クランク形)に進みます。
※T字路分岐(左折⇒右折)
T字路から約400m歩くとまたT字路となり、左折します。
10時50分、T字路分岐(左折)
バス停矢の口をそのままR20を歩くと、約300mのところの左側にフジカ食堂があり、さらに約450m先のバス停(清水橋)のところが下の写真で、大池一里塚を見に行く時はこの場所を左折し、約30m歩くとT字路分岐があります。
なお、途中のコンビニ(セブンイレブン)は看板が取り外されていました。
※大池一里塚に行く時の分岐
T字路分岐から約60m歩くと宮川に架かる万年橋があり、橋を渡ると右側にピンク色のモーテルがあり、それを横目に約80m進むとモテールに沿って右折する道があり、右折します。
10時51分、万年橋
※分岐(右折)
右折して約70m歩くと小さい十字路があり、右折します。
※十字路分岐(右折)
農道の十字路を右折して約180m歩くと右側こんもりした林があり、その外れの一段高いところに日本橋から49番目の一里塚跡碑が建っていました。
10時55分、049大池一里塚跡碑(右側)
一里塚跡を確認し、歩いてきた道を戻らずにそのまま前進しました。
宮川の土手道は舗装路より足に優しい草の生えているので、とても歩き易い道です。
地図に記された街道は宮川を挟んだ対岸にあり、白いガードレールのところです。
※一里塚立ち寄り道
一里塚跡から約350m進むと宮川の支流を渡る道があり、橋を渡ったところを右折して進みます。
※農道分岐(右折)
農道分岐から約150m歩くと十字路があり、右折して宮川に架かる木舟大橋を渡り、約100m歩くと木舟交差点に着きました。
※分岐(右折)
11時06分、木舟交差点(左折)
木舟交差点を左折して約100m歩くと、右側に地蔵立像がありました。
11時08分、地蔵立像(右側)
地蔵立像が建っている道はJR中央本線を潜れるようになっており、道を跨ぐように火の見やぐらが建っていました。
※道を跨ぐ火の見やぐら
R20を歩きながら左手の木々に覆われた山を見ていると、崩落したように山肌が剥きだしの状態になっているところがあり、周囲にマッチしない異様な景色を記録に残しました。
※異様な景色
地蔵立像から約350m歩くと右側にカーエンジニアオートヴァリエーションがあり、店舗の手前に右にヘアピンカーブで入る道があり、入り口のコンリリート壁に旧甲州街道の地図が貼られていました。
11時13分、分岐(右折)
この地図は聞きに立ち寄る人が多かったのか、店舗の人の善意で貼り出されたものだと思いますが、街道ウォーカーにとっては嬉しい親切です。
※分岐に貼られた地図
ヘアピンカーブの分岐を右折して約40m坂道を上ると、右側に木製鳥居と祀られた大石がありました。
11時14分、木製鳥居と大石(右側)
さらに約40m坂を上ると、JR中央本線を跨ぐ陸橋があり記録に残しましたが、タイミング悪くこの5分後に特急列車が走るなど、列車が入った写真は撮れませんでした。
11時15分、甲府方面の眺め(右側)
※諏訪方面の眺め(左側)
陸橋を渡り約10m先の分岐を左折します。
※分岐(左折)
分岐から約130m歩くと宮川に架かる宮沢橋があり、小さな橋を渡って進みます。
11時17分、宮沢橋
宮沢橋から約140m歩くと頭上にのぞみ大橋が架かっており、その下を潜って進みます。
※のぞみ大橋
のぞみ大橋を潜り約260m歩くと、宮川に流れ込む小早川に架かる小早川橋があり、渡ります。
11時23分、小早川橋
小早川橋を渡り約400m歩くと、左側に念仏碑と馬頭観音がありました。
11時29分、念仏碑・馬頭観音(左側)
念仏碑から約50m歩くと、宮川に流れ込む早川に架かる早川橋があり、橋を渡ります。
11時31分、早川橋
橋を渡ると直ぐに変則十字路があり、左折します。
※変則十字路分岐(左折)
分岐から約280m進むとJRの下を潜るガードあり、車が途切れるのを待って潜りました。
11時35分、JRガードを潜る
ガードは車1台しか通れないため、カーブミラーを見て、左右の途切れる毎に交互通行していました。
ガードを潜り約400m歩くと、県道197号線の宮川板室交差点に出ました。
11時40分、宮川板室交差点(右折)
交差点の右角に常夜燈や二十三夜塔などの石塔群がありました。
※常夜燈と石塔群(右側)
宮川板室交差点から約40m進むと弓張川に架かる建倉橋があり、橋渡りました。
11時41分、建倉橋
建倉橋を渡り約80m歩くと板室交差点があり、交差点を右折して酒室神社に立ち寄りました。
11時44分、酒室神社・鳥居(右側)
神社の本殿ですが、東海道と甲州道中を歩いた中で数多くの神社を見てきましたが、お賽銭箱が白囲みのところにあるのを見たのは初めてです。
※本殿とお賽銭箱
また、神社の境内右側に、雨降り塚が建っていました。
※雨降り塚
酒室神社を出て街道に戻り、板室交差点から約290m歩いた茅野市清掃協会の近くから左手前方に、冠雪が残る北アルプスの山々が見えました。
写真は望遠にしたのでぼやけていますが、肉眼でははっきりと眺めることができました。
※冠雪が残る北アルプスの山々
県道197号を進むと中央高速の橋桁の下を潜り、約180m歩くと右側に三山神社入口と記された道標パネルが建っており、Uターンするように上っていく階段がありました。
資料ではここが古道のようで、古道を進みました(グーグル地図では道は途切れていている)。
11時59分、分岐(右折=三山神社入口)
階段をカーブしながら上ると、右側の斜面に石仏石塔群がありました。
※石仏石塔群(右側)
草が生えている道を道なりに上って行くと、右の方からの道と合流しました。
※分岐合流
※古道
線路沿いに進める道もありましたが、広い道をそのまま真っ直ぐに進みました。
※分岐(左)
分岐から約50m進むと、左側に男女双体道祖神が複数体祀られていました。
12時04分、男女双体道祖神(左側)
日本橋から50番目の茅野一里塚跡は、県道197号に合流する手前にあると資料に記されていたのでMさんと二人で探しましたが、見付かりませんでした。
※050茅野一里塚跡付近(右側)
県道197号と合流して右折し約110m歩くと、宮川交差点があり、真っ直ぐ渡ってY字路分岐を右に進みます。
12時10分、宮川交差点(Y字路分岐右側)
宮川交差点から約190m歩くと、左側に1.三輪神社が、2.おかめ神社、3.宮川寒天蔵跡があり、順番に見学しました。
12時13分、三輪神社・本殿(左側)
※本殿の彫刻
12時14分、おかめ神社(左側)
12時15分、宮川寒天蔵跡(左側)
宮川寒天蔵の先隣りに明治天皇小休止した所があり、跡碑が建っていました。
12時16分、明治天皇御小休所跡(左側)
そして跡碑の建っている道路を挟んだ真向いに案内看板が建っていました。
旧街道は丸井伊藤商店の先で道路工事が行われ、数か月先には新しい道に合流するようになります。
※新たな道路に合流する
案内看板から約290m歩くと、上社御柱が横切る交差点の先に上川に架かる親柱がブロック石の上川橋がありました。
12時20分、上川橋
橋を渡りながら右手後方を眺めると、上社御柱祭りの時に御柱を滑り落とす「木落とし坂」と後方に八ヶ岳連峰が見えました。
※木落とし坂・八ヶ岳連峰(右側)
上川橋を渡り、約50m先の茅野交差点を通り過ぎ、さらに約100m歩くと茅野駅南交差点があり、交差点を右折して昼食を食べに行きました。
12時24分、茅野駅南交差点(分岐・右折)
昼食は茅野駅近くの更科蕎麦店に入りました。
この店は私の母親が好きな店で、何回か一緒に食べたことがあり、食べに入るのはしばらく振りです。
今の店舗は駅前整備で新しく建て替えられており、以前の店舗は道路真向い(踏切の近く)に建っていました。
12時25分~13時02分、昼食(更科そば)
店内は昼食時で混雑しており、相席で座らせて頂き、ボリューム満点というお品書きにつられて三段重の三重(みかさね)蕎麦(@1,250円)を注文しました。
※三重(みかさね)そば
蕎麦は大根おろし、なめこ汁、とろろと三種のつけ汁がついており、お品書きとおり大盛りそばを食べた感じがしました。
昼食でひと休みし、気分も新たにそば店を出て街道の茅野駅南交差点に戻り再出発しました。
再出発して約150m歩くと茅野駅に入る入口がありました。
山荘に来た時など、何十回となく車で通っているところを歩いて通るのは、車では見落としている新たな発見がある一方、何となく違和感を持って通り過ぎました。
13時04分、茅野駅入口(右折=茅野駅)
茅野駅入口から約70m歩くと茅野駅前交差点があり、左側に諏訪神社(上社)の大鳥居が建っていました。
13時06分、諏訪神社(上社)大鳥居(左側)
茅野駅前交差点を真っ直ぐに通り過ぎ約80m歩くと三差路となり、一番左側の道を進みました。
13時07分、三叉路分岐(左側)
Uソリューションズの地図は真ん中の道になっていましたが、「ちゃんと歩ける甲州街道」の道を選択して歩きました。
三差路分岐から約550m歩くと上原交差点があり、真っ直ぐに進みました。
13時17分、上原交差点(直進)
上原交差点を真っ直ぐに渡り約350m歩くと上原八幡交差点があり、左角に八幡神社があり立ち寄りました。
13時20分、八幡神社・鳥居(左側)
木製の鳥居に藁がぶら下がっている珍しい神社で、本殿は質素な祠でした。
※八幡神社・本殿
※八幡神社の由来碑(左側=神社入口)
本殿裏手に男女双体の道祖神が祀られていました。
※男女双体道祖神(本殿裏手)
神社を出て交差点を渡り約350m先の十字路右角に、鍛冶小路標石が建っていました。
13時27分、鍛冶小路標石(右側)
鍛冶小路から約190m歩くと変則な十字路があり、新井入口バス停の左側のブロックの上に、塔所小路の標石が建っていました。
13時30分、塔所小路標石(右側)
塔所小路を約5分進むと諏訪氏の館跡があるとのことでしたが、Mさんに聞くと行く意思がなかったので、立ち寄りませんでした。
そして新井バス停の裏手の男女双体の道祖神を記録して先に進みました。
※男女双体道祖神(右側)
塔所小路から約140歩くと上原北交差点があり、左側角に片羽通り標石、道路真向いの右側角に播磨小路標石がそれぞれ建っていました。
13時33分、片羽通り標石(左側)
※播磨小路標石(右側)
上原北交差点から約200m先の上原頼岳寺交差点の左側に、番匠川通りの標石が建っていました。
13時36分、番匠川通り標石(左側)
番匠川通り標石から約90m歩くと右側にスバルショップがあり、スバルショップの終わりに郵便局の案内看板が立っています。
街道はR20から別れて右折します。
13時39分、分岐(右折)
旧甲州道中はJRのガードを潜り、坂を上って進みます。
ガードを潜り左にカーブしながら約180m坂を上ると、分岐合流となり、分岐口に大門追分道標と常夜燈が建っていました。
13時42分、大門追分道標・常夜燈(右側)
分岐・合流したところから約70m歩くと、右側の溝口宅の入口に甲州道中碑が建っていました。
13時44分、甲州道中碑(右側)
道中碑から約110m歩くと、左側に温泉マーク入りのタンクが建っており、温泉が汲めるようになっていました。
13時46分、温泉タンク(左側)
13時47分~12時49分、休憩・衣服調整
この辺りになって来ると長袖シャツでは暑くなり、水分補給の休憩を兼ねて長袖シャツを脱ぎ半袖のTシャツで歩くことにしました。
温泉タンクのある少し涼しいところでの休憩を終え約100m歩くと、右側に石碑と常夜燈が建っていました。
13時50分、石碑と常夜燈(右側)
石碑と常夜燈から約110m歩くと、左側に神戸公民館があり、道路反対側のその真向いに先ほどの温泉タンクより動力のありそうな温泉タンクがありました。
13時52分、神戸公民館(左側)
※温泉タンク(右側)
神戸公民館から約30m先に小路の十字路があり、十字路を右折して約10m歩くと石垣の下に秋葉山常夜燈と男女双体道祖神が祀られていました。
13時53分、秋葉山常夜燈&男女双体道祖神(右側)
街道の十字路に戻り約70m歩くと左側に後ろから見る神ノ木人事やがありました。
13時55分、神ノ木神社(左側)
神社の裏手から境内に入るということはありますが、この神社の変わっているところは、鳥居の前は段差になっていているため、鳥居の前から入れるスペースは1mくらいしかありません。
そのため、神社に参拝するには神社の裏手から入る以外になく、参道が裏手しかない神社はとても珍しいと思います。
※正面からの神ノ木神社
神ノ木神社から約140m歩くと、左側に日本橋から51番目の一里塚があり、跡碑とパネルが建っていました。
13時59分、051四賀神戸一里塚跡(左側)
一里塚跡から約260m歩くと、鐘が吊り下がった梯子形の半鐘の横に、上部が壊れた常夜燈と石碑が建っていました。
14時02分、梯子形の半鐘と常夜燈・石碑
※常夜燈と石碑
半鐘の右横に立っている常夜燈から約160m歩くとY字路があるような十字路があり、左角に秋葉山常夜燈と道標が建っていました。
※Y字路があるような十字路(直進)
上の写真のように進んでくると、左側のゴミ入れBOXの先隣りに建っている。
14時08分、秋葉山常夜燈&道標(左側)
秋葉山常夜燈から約650m歩くと霧ヶ峰入口交差点となり、交差点の手前約50mのところから右側の小高い山を見ると、中腹に桑原城跡の看板が建てられていました。
※桑原城跡(右側)
霧ヶ峰入口交差点を通り過ぎ約120m歩くと、足長神社に上る参道階段があり、見ただけでパスさせて頂きました。
14時16分、足長神社・参道(右側)
参道入口から約140m歩くと右に上って行く道の角に燈部が欠け落ちた常夜燈と男女双体の道祖神がありました。
14時18分、常夜燈(燈部なし)と男女双体道祖神(右側)
さらに約180m歩くと、右側に同じように燈部がない常夜燈と2基の男女双体道祖神が建っていました。
14時21分、常夜燈(燈部なし)と2基の男女双体道祖神(右側)
燈部のない常夜燈と2基の道祖神から約230m歩くと、市内循環バスの岩窪観音前バス停があり、その付近に石仏石塔群がありました。
14時23分、石仏石塔群(右側)
岩窪観音前バス停から約240m歩くと分岐・合流し、右折して進みます。
14時27分、分岐・合流(右折)
分岐・合流して約80m歩くと、右側に細武温泉共同浴場がありました。
今日は定期清掃日でお休みでしたが、私もYumiさんの母親の実家に行った時は、温泉の共同浴場に行っていたので、場所は違いますが懐かしく思い出されました。
14時28分、細武温泉共同浴場(右側)
温泉浴場から約100m歩くと、右側に武津公民館があり、公民館の入口脇に祝言道祖神が祀られていました。
14時30分、祝言道祖神(右側)
武津公民館前から約400m歩くと、R20に分岐・合流するため、その前に水分補給して「もうひと踏ん張り」と気持ちを引き締めて再出発しました。
14時38分、分岐・合流(右折)
R20を約190m歩くと古道があるというので、横断歩道で街道の右側から左側に渡り、ガードフェンスの間から階段を降りました。
14時40分、古道入口(左側)
※古道①
※古道②
古道は約140mという短いのですが、何処を歩いても往時の道を想像させてくれます。
そして、古道の終点は清水1・2丁目交差点です。
14時42分、清水1・2丁目交差点
交差点を左側から右側に渡った約10m先に高島城の殿様や明治天皇が飲まれた(御膳水)大清水があり、立ち寄りました。
14時43分、大清水(右側)
大清水から交差点に戻り、約90m歩くと左側にかねさ呉服店がありました。
14時45分、かねさ呉服店(左側)
かねさ呉服店の道路挟んで真向いに江戸期に創業した染一染物店があり、歴史を感じさせる看板が掲げられていました。
14時45分、染一染物店(右側)
かねさ呉服店から約120m歩くと、日本橋から199㎞の距離標が建っていました。
14時47分。199㎞距離標
距離標から約120m歩くと元町交差点があり、左側に清酒真澄で全国的に有名な宮坂醸造がありました。
14時49分、宮坂醸造(左側)
また、元町交差点は変則四差路になっており、旧甲州街道と斜め右方向に行く道の分岐点に、十王堂跡碑が建っていました。
14時51分、十王堂跡(右側)
十王堂跡碑のある元町交差点を歩道左側に渡り約60m歩くと、角間川に架かる角間橋を渡ります。
14時53分、角間橋
角間橋から約170m歩くと、左側に日本画家の伊東深水の絵が保存されている伊東近代美術館がありました。
14時56分、伊東近代美術館(左側)
伊東深水は俳優の津川雅彦の妻で、女優・タレント・歌手の朝丘雪路の実父です。
美術館は当初ここから約3.6㎞先の下諏訪の高木というところにあり、現在は下諏訪町立諏訪湖博物館(島木)赤彦記念館になっています。
伊東近代美術館から道路を隔てた隣りに、伊東酒造がありました。
14時56分、伊東酒造(左側)
酒造の主要製品である清酒「横笛」は、平家物語の登場人物である建礼門院の雑仕女・横笛の悲恋物語からきているそうです。
そして、伊東酒造の道路真向いに、3つ目の酒蔵である酒ぬのや本金酒造がありました。
14時57分、本金酒造(右側)
本金酒造は製造量100石のごく少量に魂を吹き込んでおり、「本当の一番(金)の酒を醸す」「(左右対称で)裏表のない商売」を追及している店で、本金やからくち太一の銘柄で販売されている。
日本酒党の方は、一度は吟味してほしいお酒と思います。
本金酒造を過ぎると鍵之手交差点があり、ここが桝形道の跡です。
14時58分、旧桝形道(鍵之手交差点)
鍵之手交差点を真っ直ぐに渡って約30m歩くと、右側に連子格子の建物に麗人ののれんが掛かっている麗人酒造があり立ち寄りました。
14時59分、麗人酒造(右側)
店内に入り試飲ができるというので、純米吟醸原酒と大吟醸原酒の2種を試飲させて頂きました。
2種とも冷蔵されていたということもありますが、冷たく咽喉にピリッとする辛口の酒で、このまま座って飲みたくなりました。
家では日本酒を飲むことがないので、いつも酒造の前は通り過ぎていましたが、今度通る時は立ち寄って買い求めたいと思います。
※麗人酒造の店内
麗人酒造から約60m歩くと、扇屋呉服店の先隣りに白い蔵構えの今日5つ目の酒蔵である舞姫(旧舞姫酒造)がありました。
15時04分、酒蔵・舞姫(右側)
さあ、今日の旅もあと3つの交差点終りです。
舞姫から諏訪2丁目交差点、諏訪1・2丁目交差点を通り過ぎ、約400m歩くと今日の到着地である「諏訪1丁目」交差点に到着しました。
15時10分、諏訪1丁目交差点(到着地)
交差点の角で恒例の到着式を行い、第14回目の旅を終えました。
旧甲州道中の最後の旅となる明日は、諏訪1丁目交差点を右折するところから始まります。
さて、旅を終えた後、到着地の交差点を真向い(旧まるまつ百貨店で現在再開発中)に渡った処に虫湯跡があるというので、史蹟に立ち寄って記録に残しました。
15時12分、虫湯跡(左側)
【移動】
諏訪一丁目交差点から宿泊予約している「民宿すわ湖」に行くため、交差点からJR踏切に向かって約30m歩くと、左側に明治天皇行在所址碑と柳口御役所跡がありました。
15時14分、明治天皇行在所跡(左側)
※高島城柳口御役所跡(左側)
今日は諏訪一丁目交差点で旅を終え、宿泊場所に向かう途中で史跡の横を通ったので分かりましたが、そのまま交差点を右折して旧街道を歩いていたら史蹟のある場所を見つけられず、記録に残すことはできなかったと思うと幸運でした。
上諏訪駅手前の踏切を渡ると右側の公園でバンド演奏されており、それを横目で見ながら通り過ぎ、宿泊予約している民宿すわ湖に着きました。
【宿泊】
15時24分、民宿すわ湖着
宿に到着し、中に入ると直ぐにご主人が出てこられ迎え入れられました。
ご主人から、食事の時間、場所、部屋に案内される途中で入浴場所を教えられながら部屋に入りました。
部屋は5人用のようで、布団が3組押入れに残っており、広々としておりゆっくり休めそうです。
直ぐに汗を流そうと露天風呂に行くと、温泉の成分表が掲げられていて初めて風呂が温泉ということが分かりました。
※諏訪地方は温泉が出ており、温泉浴場が沢山あることを忘れていました。
露天風呂にゆっくりと浸り、今日の汗を流し、さっぱりと気分転換することができました。
《夕食》
部屋にもどりザックの荷造りや明日の支度を整え、夕食の18時30分頃まで横になりながらTVを見て過ごしました。
18時30分、夕食
2階の食堂に行くと、各部屋ごとに食事の準備がされていました。
※これは最初の配膳で、この後天ぷら、茶碗蒸しなどが配膳されました。
そして、ここで初めて今日の宿泊状況が分かったのですが、日曜日というのに8~9人が宿泊するので、「結構利用者がいるんだ」と認識させられました。
※名前は民宿となっていますが、普通の旅館と同じですが、御柱祭りが終わった直後の日曜日の宿泊のため我々くらいかなと思っていたので、ご主人には申し訳ございませんが、想定以上の人が泊まるので驚きました。
瓶ビールを注文しMさんと乾杯となりましたが、ほとんど飲めないMさんはコップに少し注いで乾杯しました。
配膳された料理は豪華さは有りませんが、値段以上に感じるもてなしで、私は1本では足りず2本目を注文し咽喉を潤すとともに、旅の疲れを癒しました。
20時30分頃までのんびりと食事を摂り、Mさんと歓談の時間を楽しみ部屋に戻りました。
明日は雨模様のため、朝7時に朝食を食べ、昼前には雨が止むとの予報から少しでも遅くに出発しようと、10時前に旅館を出発することになりました。
【街道旅のご案内】
※《街道旅-1》 旧東海道夫婦二人旅
H24.03.11に日本橋を出発し、H26.01.17に京都・三条大橋に到着するまでの37回のEiさんと認知症のYumiさん(要介護2)夫婦の旧東海道の旅ブログです。
ブログには、旅の途中で楽しんだ番外編(京都嵐山の紅葉、安土城址、神戸ルミナリエなど)や七里の渡し、佐屋街道の旅紀行も掲載しています。
街道ウォーカーの皆さんのお役に立てたら幸いです。
今回の旅は、出発日が東日本大震災と同じ日(1年目)、到着日が阪神淡路大震災と同じ日(19年目)と同じ日と、ともに大震災が発生した日になっていますが、これは意識して震災日に合せたわけではなく到着してから友人に教えられ気が付きました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-tokaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮宿の日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旧奥州街道の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道をあるくため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って歩き、五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/
【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
https://michinoku-trail.blog.jp/
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