【天候】 小雨のち曇り
【宿場】 (37)上諏訪宿⇒(38)下諏訪宿
【行程】 歩行距離= 4.99㎞ 総距離=210.04㎞
諏訪一丁目交差点⇒(1.84㎞)⇒珍しいケヤキ⇒(1.47㎞)⇒諏訪レイクマンション前⇒(1.18㎞)⇒承知川橋⇒(0.50㎞)⇒下諏訪・中仙道合流之地(ゴール)
【ルート図】
宿場(黒囲みが第15回旅の宿場)

第15回
  ↓旧甲州道中の旅・進捗状況(15回の黒線)
第15回全体ルート
  ↓第15回の旅ルート
  (上諏訪・諏訪一丁目交差点 ⇒ 下諏訪・中仙道合流之地
=ゴール
第15回ルート
【旧甲州道中の旅】
《序章》
05時30分、起床
外を見ると小雨が降り続いており、出発する時に雨が止んでいてくれたらと願いながら、朝食を食べに行きました。
食べる所に配膳された朝食は、豪華ということはありませんが、朝食としては十分な量で、全て食べ切りお腹を膨らませました。
  ※朝食
001 朝食
今日の旅は、ゴールまで5㎞弱と短いことと天気が雨模様(昼頃には雨が止む予報)ということで、少しでも遅く出発(10時頃)しようと考えているため、のんびりと食事を摂りました。
食後、部屋に戻り、出発の準備を整えた後、友人が住んでいた家がどうなったか見に行こうと思い(諏訪湖花火大会の時に立ち寄らせて頂いたことがあります)、Mさんに断って出掛けました。
友人の家は取り壊されて駐車場になっており、メールで連絡すると2年前に取り壊されたとのことでした。
私が出掛けた時は霧雨が少し降っていた程度でしたが、民宿に戻ってくると直ぐに本格的な雨が降り出してきました。
9時過ぎまで約1時間出発を待機しましたが、降ったり、止んだりする状況は変わらないと判断し、予定の10時より少し早く出発することにしました。
09時24分、民宿すわ湖発
外に出ると本降りに近い雨が降っており、傘をさして出発地の「諏訪1丁目」交差点に向かいました。
  
※上諏訪駅手前の踏切
003 上諏訪駅踏切
ゴールに到達する最後の日が雨模様と気が滅入りそうですが、東海道の鈴鹿峠越えの雨中の旅(降雨量10㎜)のことを思い出すと、あの時よりはるかに小降りなのと思い出に残る旅が出来ると気を取り直しました。
出発地の諏訪1丁目交差点に立ち恒例の出発式を行い、旧甲州道中のゴールに向けて旅に出発しました。
09時35分、諏訪1丁目交差点(出発地)
004 諏訪一丁目交差点(出発)
交差点を出発し約70m歩くと十字路があり、左折しました。
09時36分、十字路分岐(左折)
005 分岐(左折)
左折して約50m歩くと、長屋門を移築した茶房・石の花がありました。
09時37分、茶房・石の花(左側)
006 石の花
石の花から約120m歩くと、右側に吉田式部彦衛門が大坂から持ち帰ったと伝えられている吉田松がました。
09時39分、吉田松(右側)
007 吉田の松
吉田松は諏訪市内で最年長の木だそうです。
吉田松から約90m歩くと、左側の藤森宅の隣りに日本橋から52番目の一里塚跡があり石碑が建っていました。
09時41分、052片羽一里塚跡(左側)
008 52一里塚
一里塚跡から約160m歩くと、右側に宿温泉と記された表札の旅館さざ波がありました。
09時44分、旅館さざ波(右側)
009 さざ波旅館
あまり上諏訪で一泊する人はいないと思いますが、宿泊して諏訪湖を見に行きたい人は私達が宿泊した民宿すわ湖が良いと思いますが、街道旅で宿泊するだけで良いと考える方には便利な旅館だと思います。
旅館さざ波から右に曲がりながら約240m歩くと、左側に高島藩ゆかりの庭園で、諏訪市文化財指定公園になっている指月庵がありました。
09時47分、指月庵(左側)
010 指月庵
時間が早かったため開園前で、脇から庭園を撮らせて頂きました。
  ※指月庵の庭園
010-1指月庵・庭園
指月庵の先でY字路分岐し、街道は左側に進むのですが、Y字路分岐する手前の右側に、石仏群がありました。
09時49分、石塔群(右側=Y字路分岐の手前)
012 石仏群
  ※Y字路分岐(左側)
011 Y字路分岐(左)
Y字路分岐を反対の右側に行くと、高島藩歴代藩主の廟所や和泉式部の墓があるそうですが、立ち寄りませんでした。
Y字路分岐から約120m歩くと、右側に児玉石神社があり街道から直ぐの場所にあったので立ち寄りました。
09時52分、児玉石神社(右側) 
013 児玉石神社
 ※本殿&いぼ石
014 いぼ石
  ※境内のいぼ石群
014-1 いぼ石群
児玉石神社から約160m歩くと、白山社と記された社標が立っていてその脇から神社の上る階段があり、見ただけで恐れおののき記録だけ残して通り過ぎました。
09時59分、白山社社標(右側)
015 白山社
出発してから上り勾配の道を歩いてきましたが、白山社社標碑から約90m進んだ浜商会(右側)の先で終り(赤線の部分)、これからはアップ・ダウンを繰り返しながらゴールに向かいます。
  ※今日のアップダウン道の最初の峠(赤線部分)
016 上り・下りの分岐(浜商会)
峠手前の浜紹介から約160m歩くと、右側に先宮神社があり立ち寄りました。
10時05分、先宮神社(右側)
017 先宮神社
境内の拝殿脇に諏訪市天然記念物の大ケヤキが植生されていました。
  ※大ケヤキ
018 大けやき
  ※大ケヤキの解説
018-1 解説
先宮神社から約400m歩くと、道路下を千本木川が流れる十字路を直進し街道を進みます。
019 分岐(直進)
十字路から約160m歩くと左側に諏訪市消防団第一分団があり、その先隣りに大ケヤキの木が植生されており、その先隣りが武居屋酒店がありました。
※大ケヤキの場所は、十字路からの距離でもっと手前だったように地図に記録してありました。
ところが地図に掲載されている武居屋酒店の場所が約160m先だったので、地図に掲載されている武居屋酒店を採用して距離を記しました。
街道旅の時はご注意下さい。
10時14分、街道脇の大ケヤキ(左側)
020 街道脇の大けやき
大ケヤキの前に小さい街道碑、木の後ろ側に男女双体道祖神が祀られていました。
  ※旧甲州街道碑
021 甲州道中碑
  ※男女双体道祖神
022 男女双体道祖神
大ケヤキから約140m歩くと、右側に燈部が破損した常夜燈が建っていました。
10時22分、常夜燈(右側)
023 常夜燈
常夜燈から約300m歩くとコープ小池があり、横の駐車場内に先宮神社の御柱が4本並んで置かれていました。
  ※先宮神社の御柱(右側)
024 先宮神社の御柱
先宮神社の御柱祭りは、以下のURLでご覧下さい。
  URL=http://www.shinmai.co.jp/onbasira/2016/04/post-445.html
御柱が置かれていたところから約100m歩くと、右に上っていく道がありますが、私道で鎖が架かっているので間違えることはないと思います。
  ※Y字路分岐(左側)
025 分岐
私道のY字路分岐から約40m歩くと、田植えの終わった棚田水田と諏訪湖が眼下に見えました。
10時34分、棚田と諏訪湖(左側)
026 棚田と諏訪湖
諏訪湖は天気が悪く、靄がかかったようになっていました。
諏訪湖を左に眺めながら約250m歩くと、左側に銅板葺き屋根の家があり、まだ葺き替えて時間が経過していないようで、銅色に輝いていました。
10時38分、銅板葺き屋根の家(左側)
027 銅板の屋根
銅板葺き屋根の家の2軒先に、連子格子の江戸期に茶屋だった橋本政屋がありました。
10時39分、茶屋跡・橋本政屋(左側)
028 茶屋跡
門は高島城三の丸門が移築され、1・2階の間の欄間には鯉の彫刻が彫られていました。
  ※当時の面影を残す建物
028-1 茶屋跡
橋本政屋の道路を挟んだ真向いに、男女双体道祖神が祀られていました。
10時41分、男女双体道祖神(右側)
029 男女双体道祖神
橋本政屋から約170m歩くと、火の見やぐらが建っている十字路があり、左角に男女双体道祖神が祀られていました。
10時44分、男女双体道祖神(左側)
030 男女双体道祖神
男女双体道祖神から約40m歩くと、島木赤彦の家を表現する柿蔭山房があるというので、街道から別れ右折して立ち寄りました。
10時47分、島木赤彦の住居分岐(右折)
031 島木赤彦住居跡分岐
  ※島木赤彦の住居入口
032 島木赤彦住居跡入口
10時48分、島木赤彦の住居(右側)
033 住居跡
  ※解説
033-1 解説
島木赤彦の遺品は下諏訪町立諏訪湖博物館に保存・展示されています。
  ※邸内の庭園で植生されている雲流松
034 島木赤彦住居跡・庭の松
島木赤彦住居から街道に戻り約140m歩くと、右側に民宿はた屋があり、その先の家の屋根越しに山の中腹に設置されたソーラー発電が見えました。
  ※ソーラー発電(右側)
035 山裾のソーラー発電
ソーラー発電を眺めたところから約300m歩くと、右側に高層のプチモンド諏訪レイクマンションがあり、マンションの駐車場から諏訪湖を一望することができました。
11時00分、プチモンド諏訪レイクマンション(右側)
038 プチモンド諏訪レイクマンション
  ※諏訪湖(上諏訪方面の眺め)
036 諏訪湖の眺め(上諏訪側)
  ※諏訪湖(岡谷方面の眺め)
037 諏訪湖の眺め(下諏訪側)
マンションの駐車場出入口から約130m歩くと、右側に江戸期は足元が湖面で石投げして遊んだという石投場跡と明治天皇が景色が良いと馬車を停めた跡があり、それぞれ石碑が建てられていました。
11時03分、石投場跡&明治天皇駐輦址(右側)
039 石投げ場跡・明治天皇駐賛址
跡碑から約80m歩くと、雨が止んでいたので、傘を折畳みビニール袋に入れてザックに収納しました。
そして、石投場から約300m歩くと、路面に何枚も使用されていた下水道マンホール蓋があり、特に色付きだったので記録に残しました。
なお、色付き蓋は、見始めからこの先のゴールまで見ることがなかったので、幸運でした。
11時08分、色付き下水道蓋
040 下諏訪町下水蓋
色付き下水道蓋のところから約120m歩くと、右側に鎌倉街道の道標が建っていました。
11時10分、鎌倉街道道標(右側)
041 鎌倉街道案内板
道標から約20m先(フィットという会社に行く道)に鎌倉街道に入っていくような道?があり、入口脇に青色屋根の綺麗な邸宅が建っていました。
11時12分、鎌倉街道入口(?)と青色屋根の邸宅(右側)

042 鎌倉街道と綺麗な家
㈲フイットに行く道から約110m歩くと、右側に日本橋から53番目(甲州道中最後)の一里塚があり、塚跡に石碑が建てられていました。
11時13分、053富部一里塚跡(右側)
044 富部一里塚跡
一里塚跡碑から約250m歩くと、若宮神社に通じる参道入口があり、社標が建っていました。
11時17分、若宮神社・社標(右側)
045 若宮神社・社標
若宮神社社標から約240m歩くと、承知川に架かる承知橋があり、渡って真っ直ぐに進みました。
11時20分、承知橋
046 承知橋
  ※承知川
047 承知川
承知川を渡って約70m歩くと、右側の石垣に承知橋に架かっていた一枚岩の橋石が埋め込まれて保存されていました。
11時22分、承知橋の橋石(右側)
048 承知橋・橋石
橋石から約220m歩くと十字路があり、街道は直進するのですが、霞ケ城跡が下諏訪温泉・山王閣の敷地内にあるというので、右折して街道から別れました。
11時26分、十字路分岐(右折)
049 分岐
右折して約30m先にあるブロック擁壁手前の階段を上り、城跡の山王閣に行きました。
  ※山王閣に通じる階段(右側)
050 山王閣入口階段
11時28分、霞ケ城跡(山王閣敷地)
051 霞ケ城跡
  ※霞ケ城跡・解説
051-1 解説
山王閣を後にして街道に戻り十字路から約60m進むと、左側に大きなケヤキの「専女(トウメ)のケヤキ」が植生されていました。
11時31分、専女のケヤキ(左側)
052 専女のケヤキ
専女のケヤキの前は諏訪大社下社秋宮の駐車場で、約30m前進すると国道142号と交差する十字路となり、街道は右折します。
  ※十字路分岐(右折)
053 分岐(右折)
旧甲州街道は右折してさらに神社鳥居の左側の道を進むのですが、お諏訪様と云って我が家でも毎年必ず参拝に訪れ、約30年くらい前は大晦日の12時に2年詣りをしてきた神社なので、下社秋宮に参拝に立ち寄りました。
11時33分、諏訪神社下社秋宮・鳥居
054 諏訪大社・秋宮
神社の一番奥にある拝殿に行き、お賽銭をご奉納し、旅のご加護への感謝とYumiさんの病気平癒
を祈願しました。
  ※拝殿
055 諏訪大社・秋宮拝殿
今年の4月~5月に開催された御柱祭りで建てられた御柱が、拝殿をはさんで右側に秋宮一、左側に秋宮二の御柱が境内に建てられていました。
  ※秋宮一の御柱
056 御柱・秋宮一
  ※秋宮二の御柱
057 御柱・秋宮二
  ※神楽殿
058 神楽殿
諏訪大社の参拝を終え、鳥居脇の旧街道を約40m歩くと、左に曲がる右角に番屋跡の石碑が建っていました。
11時43分、番屋跡(右側)
059 番屋跡
番屋跡から約50m歩くと、塩羊羹の老舗である新鶴があり、立ち寄りました。
11時44分、塩羊羹・新鶴(右側)
060 新鶴(塩羊羹)
新鶴の塩羊羹は家族一同が大好物で、過去に何回買ったか分からないくらい来ており、今日もYumiに食べさせるものと、娘のお土産に2つ買いました。
添加物が一切入っていない生の羊羹のため、常温で5日以内に食べて下さいと注意を受け、大切にザックに入れました。
また、店内は団体客が立ち寄るなど混雑していましたが、スムーズに買うことができました。
  ※店内(許可を得て撮りました)
061 店内
新鶴を出るとゴールは目の前で、約40m歩くと中仙道と合流する地点となり、左側に「甲州道中中仙道合流之地」の石碑が建っていました。
直ぐに到着式の支度を整え、到着式を行いゴールを記録に残しました。
11時51分、甲州道中・中仙道合流之地(右側)
063 中山道合流之地(到着)
 ※合流地(赤線)・甲州道中(黄色)・中仙道(白色) 
064 合流之地分岐
到着地は中仙道との合流地のため、本陣、問屋場、下諏訪宿の旧旅籠などの史跡がまとまってあったため、それらの史跡を記録に残すことが忙しくなり、旧東海道の三条大橋到着のようなゴールした感激をはありませんでした。
※旧東海道の時はNさんが到着を祝す横断幕を作って出迎えて下さいましたが、今回はそのようなセレモニーもなかったからも知れません。
【移動】
感傷に浸ることなく、合流地にある史跡を記録に残すため、まず、合流之地碑の後方の壁に掲げられている「木曽路名所図絵・下諏訪宿」、図絵の右隣りの「綿の湯」伝説碑、その右隣りの「問屋場」跡碑などを記録に残しました。
11時52分、木曽路名所図絵・下諏訪宿(合流之地碑の後部)
067 木曽路名所図絵・下諏訪宿
  ※綿の湯碑
065 綿の湯碑
  ※綿の湯・解説と問屋場跡
066 中山道下諏訪宿・問屋場跡
正面から写真を撮りたかったのですが、解説パネルに横付けするように車が駐車していたため、斜めしか撮れませんでした。
合流之碑から中仙道を約30m和田峠方向に進むと、右側に下諏訪宿本陣跡がありました。
11時56分、下諏訪宿・岩波家本陣跡(進行和田峠の右側)
068 下諏訪本陣跡
  ※本陣・解説
068-1 解説
門から先は有料ということで、門のところから撮った旧本陣の庭園
069 本陣内
本陣跡から合流之地碑のところに戻ると、合流之地碑の左斜め前に元禄3(1690)年に創業した旅館・桔梗屋があります。
11時58分、温泉旅館・桔梗屋(合流之地碑の左斜め前)
070 旧旅籠・桔梗屋
合流地之碑の右斜め前、桔梗屋の真向いに旧脇本陣で創業が元禄2(1689)年創業の御宿まるやがあります。
※旧脇本陣・まるや(合流之地右斜め前)

071 脇本陣・まるや
桔梗屋の先隣りに下諏訪町立歴史民俗博物館がありましたが、中仙道の旅の時に見れればとと考え立ち寄りませんでした。
12時00分、下諏訪町立歴史民俗博物館(桔梗屋の隣り)
072 民俗資料館
歴史民族博物館の先隣りに、旅館みなとやがありました。
  ※旅館・みなとや(歴史民族博物館の隣り)
073 みなとや
さて、合流之地付近の史跡や江戸期から続く旅館などを記録に収め下諏訪駅に向かいましたが、Yumiさんの母親の家(以前は借家にしていた)がどうなっているか確認しようと思い、Mさんに断って立ち寄りました。
家は人がいる気配がなく住んでいるのか、いないのか分からず、庭木は短く刈られていましたが、整備されておらず祖母(Yumiさんの母親の親)が居た時の情景との違いに淋しくなりました。
【昼食】
下諏訪駅前に出て昼食を何処で食べようか辺りを見回し、駅前ビルの2階にあるスナックに入りました。
074 昼食場所
  ※スナック・テラリューム
075 喫茶・テラリューム
12時16分~12時46分、昼食(テラリューム)
店内に入ると数組のお客がおり、空いている席に座ってお店が勧める「日替り弁当」(@700円)と瓶ビールを注文しゴールした乾杯をしました。
077 昼食
Mさんは飲めないので致し方ないと思う反面、ひとつの旅を終えた喜びを表現できず、私一人で飲む味気無さを感じました

076 乾杯
【帰路】
昼食を済ませると予定している特急(14:08)の1本前に乗れそうなため、下諏訪駅の窓口で指定席変更を行い、1本前の特急で帰ることになりました。
  ※下諏訪駅
078 下諏訪駅
  ※下諏訪駅ロータリーの温泉口
079 下諏訪駅前の温泉
  ※下諏訪駅・改札口=万治の石仏モニュメント
080 万治の石仏モニュメント
予約した特急(あずさ)は下諏訪駅から乗り換えなしで下車駅まで行かれるのですが、変更した特急(スーパーあずさ)は下諏訪駅に停まらないため、1駅先の上諏訪駅まで移動する必要があります。
13時14分、下諏訪駅発
081 下諏訪駅ホーム
13時19分、上諏訪駅着
上諏訪駅のホームには足湯があり、何人か入っていました。
電車を待つ間の時間潰しには良いかもしれません。

082 上諏訪駅構内の足湯
13時28分、上諏訪駅発
083 上諏訪駅・特急スーパーあずさ
乗車した車両は70~80%くらいの乗車率で、のんびりと席に座って帰りました。
【祝杯】
Mさんの奥さんはご主人と一緒に甲州道中を歩いているので、ゴールの後の乾杯に参加して頂きたいと話していました。
予定していた特急より1本早く乗ることをメールで知らせてもらい、立川駅で合流しました。
何処に入ろうか考えMさんの奥さんに聞くと「魚力」がいいと聞き、みずほ銀行地階の店に行くと、午後の休憩時間で閉まっていたため、駅ビル地階の魚力(寿司店)に行くことになりました。
084 ルミネ地下・魚力
店に入ると4人座れるテーブル席が空いており、席に座って寿司とビールを注文しゴールの祝杯を上げました。
085 祝杯
約1時間、3人でお寿司を食べながら街道旅の思い出話しに花を咲かせました。
一方、アルコールがダメなMさんに替わってアルコールOKの奥さんが、ご主人が飲めないビールを飲み干していたので、追加して飲もうかなと思いましたが、祝い酒が足りない分は家に帰って飲むことにして1杯だけで打ち切りました。

【街道旅のご案内】
※《街道旅-1》 旧東海道夫婦二人旅
H24.03.11に日本橋を出発し、H26.01.17に京都・三条大橋に到着するまでの37回のEiさんと認知症のYumiさん(要介護2)夫婦の旧東海道の旅ブログです。
ブログには、旅の途中で楽しんだ番外編(京都嵐山の紅葉、安土城址、神戸ルミナリエなど)や七里の渡し、佐屋街道の旅紀行も掲載しています。
街道ウォーカーの皆さんのお役に立てたら幸いです。
今回の旅は、出発日が東日本大震災と同じ日(1年目)、到着日が阪神淡路大震災と同じ日(19年目)と同じ日と、ともに大震災が発生した日になっていますが、これは意識して震災日に合せたわけではなく到着してから友人に教えられ気が付きました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-tokaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮宿の日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旧奥州街道の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道をあるくため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って歩き、五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/

【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 
https://michinoku-trail.blog.jp/